「保護者」から「親」へ … 子育ての評価とは?PART25 ~楽しい『家族』の関係が『自立』の要素?

創刊から28年!・・・お陰様をもちまして、 NAP通信100号発刊を迎えました。作り続けてこられたのも一重に会員の皆様のご理解とご支援、それに応えたいとのスタッフの想い、そして何より協賛スポンサー各社様のご支援の賜物です。この場をお借りしすべての皆様に心より感謝申し上げます。ありがとうございます。

今回100号発刊にあたり、これまでの通信を改めて開いてみましたが、時代の流れというか…創刊当初の通信はお粗末なものでした(汗)まぁ、作成者は私ですから大変失礼な話ですが、当時の会員様は文句も言わず受け取っていただいたことを思い出します。本当に感謝しかありません。

その後、パソコン等の作成機器の導入やスタッフ全員で取り組む体制づくり、会員の皆様よりモニターとして毎回ご意見を頂戴したことにより現在の通信へと進化してきました。

更に、平成16年からはNAPの関係業者様に協賛をお願いしたところ「会員様の為になるのであれば」との想いで応援を頂く事となりました。

今では25社様にご支援いただいておりますが、もし協賛がなければ経費高騰により廃刊せざるを得なかったかも知れません。このNAP通信は会員様・スタッフ・協賛各社様の想いが詰まった『会報誌』です!

その『価値』を護り、更に高めていくことを目的に、スタッフ一同力を合わせて作成していきます。これからもご期待ください!

目次

子どもが『家族』をもつ段階に

さて、不登校児であった次男が社会人になったことを期に連載を始めた『保護者から親へ…子育ての評価とは』。今回で25回、7年も経過しました!

このタイトルは我子が社会人となったことで、所得も含めて親の保護下から完全に『巣立った』=『保護者』という立場から一人の『親』となった…との実感から、子育ての数々の失敗を振り返り、現在の我子にどのように関係しているかを綴ったものです。その次男も皆様にご報告した通り昨年結婚。『自分の家族』を持つ段階にきました。

そして、この度、次男に次いで三男が結婚し正式に自分の家族を持つこととなりました!それを受けて、今回は『家族』をテーマとして『自立』を考えてみたいと思います。

『事実婚』が結婚へ!

三男は現在大阪在住。法務教官として青少年の更生に関わる『お堅い』仕事に就いています。実のところを言うと、この度結婚といっても、四年前から職場の官舎で一緒に生活しており、お互いの家を行き来する等、戸籍謄本を見ない限り誰もが『夫婦』と思う生活スタイルでした。しかし、これには私も昭和三十年代生まれの血が騒ぎ、大阪出張の際に二人を呼び出し結婚を含む今後について問い質したところ、二人そろって「特に不便がないからこのままでいい」との返答。そう言われると返す言葉が見つからなかったことを記憶しています。

そんな二人が急に結婚すると言ってきたのが昨年末。次男の結婚に感化されたことは見え見えで、私としては「今になって…!?」と言いたくはなりましたが、あくまでも事後報告として結婚式を語る二人に対しての返答は「(結婚式の)資金は大丈夫か?」でした(笑)。

『家族』に囲まれた結婚式

こうして、現在の職場(大阪)に近い関西の結婚式場で挙式・披露パーティーを行いました。私の感想としては、次男の結婚式が小学校からの友達や職場の同僚が多く参列する「友達に囲まれた結婚式」だったのに対し三男の結婚式は対照的に「家族に囲まれた結婚式」でした。

 

これは、新婦の実家である北海道の結婚式では親族を中心とするスタイルが慣例らしく、披露パーティーでは新郎新婦の雛壇の前に家族(親・兄弟)の席、それを囲むように親族の席、職場関係や友人は後方というセッティングでした。ですが、元々二人に『家族』を中心にしたいとの想いがあったようで、親には全く相談などなく、企画から準備・当日まですべて二人の意図で実行されていました。

この度の結婚、新郎(三男)が3人兄弟の末っ子に対して、新婦は4人兄弟の長女。祖父母も近くに住んでいて大家族に近い環境で育って来たようです。また、二人とも高校卒業後実家を離れて大学・就職と自分で決めた道を進んで来ており、実家から遠く離れた地で就職、一人で生活していました。それらすべて本人が望んできた道で、その境遇の一致、そして二人とも共通する『家族』への想いが結婚、そして結婚式に発展していったようです。

『やりたい放題』が感謝に?

三男は、幼少期より要領よい振舞いと親の『教育する力』が3人となった我子について行けなくなったことで、家ではやりたい放題。私に対しても批判も含め言いたい放題。学校でも散々やらかしており、周囲への謝罪に追われ、叱るエネルギーが沸いてこなかったことを思い出します(汗)。その後は「何をしていようと自分の子だ!」との考え方が私の中で定着し、我子の行動が全く気にならなくなったこともあり、高校までは好き勝手な振る舞いが続いていました。

 

そんな三男が私や妻に対して『感謝』の言葉を口にするようになったのが大学に行ってから。一人で生活するようになり、全国から集まった様々な境遇の友人との交流の中で感じるものがあったようです。更には、青少年の更生に関わる職に就き、改めて家族の大切さを実感したようです。

『自立』の基盤は楽しい『家族』

今振り返ると当時はやりたい放題の我子に対して『教育』しようとしない親としての姿勢に、「それでも親か!」などと多方面からよくお叱りを受けたものですが、決して「言いなり」になっていた訳ではなく、最終的な行動の決定権を子どもに委ねていただけです。

 

そのスタンスが、良いも悪いも自分の意志での行動となり、成功も失敗も『自己責任』のスタイルに。そして、『親という権力による教育』と言う感覚を持たなかったことが、兄弟を含めた家族内の『良好な人間関係』となり、その実感が三男の『家族』への想いを広げ、結婚式のコンセプトとなったのではないかと思います。

それにしても披露パーティー恒例のセレモニー『親への手紙』では妻への感謝が9割以上。私(父親)へは「家には居なかった」とか「口うるさい父親だった」等々『いじり』ともとれる言葉ばかり。これには「やりたい放題できたのは誰のお陰だ!」と言いたくなりながらも、妻(母親)への感謝の言葉を延々と綴る三男のスピーチに

「こんな自分でも、少しは父親の役割は果たせたのかな??」との想いが…。そんなオチの付いた三男の結婚でした。

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