新型コロナウイルスの感染者が…
この山口でも報告される等、ウイルス感染の脅威が迫るだけでなく、これからどうなっていくのかが見えない…こんな事態は生まれて初めての経験ですね。その都度判断し行動できるよう、日々テレビやネットで情報収集をしている今日この頃です。
さて、そんな非常事態の昨今ですが、不登校児だった次男が社会人となったことを節目に書き始めたコラム…『保護者 から 親へ…子育ての評価とは?』今号でなんと13回!4年に渡って我が子の幼少期からの成長をドキュメントを交えてお伝えしてきました。
今号からはその総括として、子ども達が巣立った現在の視点で、子育てを振り返ってみたいと思います。
全く親を必要としない・・・?
それにしても、こんな大変な時に我が家の男子三兄弟はどうしているのやら…親には何の連絡もありません。特に、長男・三男は感染拡大が著しい東京・大阪在住。たまりかねて連絡してみると…「大丈夫!」とメール一言で終了。次男についても同様。親の心配をよそに、全く親は必要ない…と言わんばかりです。(涙)
まぁ、男の子というものはこんなものだと最初から分かっていた事ですが、仕向けた訳でもないのに三人とも大学から県外へ。そして、そのまま就職(現在、東京・鹿児島・大阪)。金銭的な面も含め完全に親の手から離れ、現在はそれぞれの人生を歩んでいます。その生き方も三人三様。同じ環境で育ったはずなのに不思議なものですね。
今になって思うことは「子どもは親の想い通りにはならない!」とよく聞くフレーズをイヤと言う程思い知らさこと・・・よくよく考えてみると、子ども達の「意志」に任せるとこうなるのは必然であり、親子とは言え別人格なわけであって、親が子ども達それぞれの人生という位置に立てば、想い通りにならないのは当然ですね!
頼りにしない理由…自分で決める
振り返ってみると、親の想いとは全く違った方向に行ってしまったとは言え、不登校解消後子ども達すべてと言っていいほど、自分の「意志」で決め行動するようになっていました。進路(就職)についても自分で決めて事後報告。勿論、決定する前に意見を聞きに来ることはありましたが、三人とも私(親)の意見をよそに自分の決めた方向に進んだことを考えると、私(親)の意見など自分で決定するための参考でしかなかったようです。
自分の「意志」で行動すると…
こうなると、親としては子どもが決めたことを支援するしかないと…イヤ、その位置に立つしか選択肢はなかったことを思い出します。ただただ、お金の算段をすることでしたね(笑)。
しかし、一つ言えることは私も妻も、心配はすれども「迷い」はありませんでした。また、そのような意味での子育てに対する悩みも不登校以降皆無であったように思います。今現在も、これから何が起こるか、何をしでかすか…分からないことを前提に、子ども達自身で乗り越えていくだろうと考えてます。
なぜなら、子ども達が自分を主体とする考え方=自分の「意志」を基本とする行動スタイルであるように思うからです。
様々な問題の根源は「自立」?
40歳以上の引きこもりが61万人という内閣府の発表から久しくなりますが、他にも現代社会が抱える様々な問題、人間同士のトラブル、そして子育ての悩み等々を見聞きするなかで頭に浮かんでくることが「自立」という言葉です。様々な現代社会の問題は、人々の「自立」という点に根本的な要因があるように思えてならないのです。
では「自立」とは何をもって自立と言うのでしょうか?様々な表現がありますが、私は「楽しく(幸せに)生きる」という前提において、大きく2つの領域があると思っています。それを一言で言うなら
①自己責任を基本とする行動
②良好な人間関係を築く能力
この2つの側面の行動スタイルが身についていることだと考えています。
まず「自己責任を基本とする行動スタイル」ですが、物質的な豊かさを手に入れた現代の日本において、「自由」という考え方・行動が台頭していますが、「自由」には必ず「自己責任」がついて回ります。「自己責任」がとれて初めて「自由」が楽しめるのではないかと思います。
しかし、多くの人は「責任」というものを引き受けられず、不安を抱えたり、陰口を言うだけで問題を解決できなかったり、他人に責任を転嫁し追及したり…と、よく聞く悩みやトラブルのもととなっていることを様々な場面を通じて感じています。自由を主張すれども自己責任が取れない…これでは「楽しく生きる」ことはできませんよね。これが「自己責任を基本とする行動スタイル」が自立の要因だと考える理由です。
「意志」の獲得が自己責任の基盤
「自己責任を基本とした行動スタイル」を確立するためには、自分の「意志」により行動や判断などを決定することができるスタイルが問われてきます。つまり、心の成長において「意志」という感覚を十分に獲得できているかがポイントです。
心の成長段階の考え方から、2歳頃から始まる「イヤ!」がその意志の獲得の行動であると言われています。この時期を一般的には「第一反抗期」などと呼んでいますが、その言葉通り「イヤ!」が始まると手を焼くものです。ですが、子どもが「意志」の感覚を獲得するためには、この「イヤ!」に徹底して付き合い、求められるまで手を出さない姿勢が必要だと言われています。
不登校は意志の獲得のやり直し
我が家の場合、不登校となった長男・次男ともこの時期に求められる前に手を出し続けた=親として過干渉だったため、後に「不登校=引きこもり」という行動となって「手を焼く」羽目になったわけですが、以前もお伝えした通り、不登校によりこの「意志」の獲得をやり直した…不登校とは2歳児に退行し親の干渉から逃れることで自ら意志の感覚を取り戻す行動だったように思います。
その取戻しによりその後、自分の意志を中心に行動する=自分で決めて自分で行動するスタイルが定着したのだと思います。そして、思い通りにならないことを他者のせいにしたり思い悩むなど、親として感じたことはないことから、子ども達は自己責任という領域に立っているのではないかと思います。その意味で子ども達のこれからに親としての「不安」は感じないのです。
だからこそ、この時期(2歳~4歳)を甘く見てはならない…と私は思うのです。まさに『三つ子の魂百まで』ですね。
次号では「良好な人間関係」と言う視点で引き続き「自立」を考えてみたいと思います。
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