中村社長のコラム 「保護者」から「親」へ … 子育ての評価とは?  PART10 ~ 幼少期のぶつかり合いが外社会での生きる力に  

親がいたらぬ手出しさえしなければ・・・

子どもは「願望」を基準に外社会での厳しい戦いに自ら挑んで行くのではないか…と締めくくった前号ですが、長男・次男の不登校以外に三男の成長にもそう思えるところがあるのです。

今回は、このコラムを読んでいただいた方から三男の成長を聞かれたこともあり、長男・次男とは全くと言っていいほど違う成長をした三男を題材に考えてみたいと思います。

 

目次

長男・次男とは全く違う育ちの三男

結論から言うと三男は長男・次男の不登校(引きこもり)のような社会的に問題視されるような現象は全くなく、小学校高学年以降、ゲームや携帯は一切制限せず、勉強も含め全くの放任でしたが、学校や交友関係など保護者として対処しなければならないようなトラブルは一切ありませんでした。進学も自分で決め、大学から県外へ。そして昨年就職しましたが、それなりに志をもって職を選んだようで、親に仕事の愚痴や悩みを漏らすこともなく現在に至っています。

 

小学校低学年までは大問題児!?

こう言うと、順風満帆な育ちをしたように思われがちですが、実のところ小学校低学年までは全くそうではなく、長男・次男と違い、幼児期から親としては大変『手を焼いた子』で、自分もケガをすれば、他人にもケガをさせると言うようにトラブルが絶えず、どれだけ謝って歩いたことか…(汗)。とにかく多くの方々に迷惑をかけた子でした。

特に小学校の低学年の頃は、友達と仲良くする反面、ぶつかり合いも多くありました。例をあげるなら、小学二年の時だったでしょうか、下校中、雨上がりの水たまりで転んだところを一緒に下校していた友達(女の子)からバカにされたことに腹を立て、持っていた傘でその子の顔面を殴打。翌日連絡を受け即座に謝罪に出向いたことは今でも記憶しています。また、学校でも友達と些細なことで口論となり、机をひっくり返しながら追いかけまわす等、数々の武勇伝があるのです。

また、友達だけでなく先生に対しても…。特に高圧的な先生に対しては、宿題は一切やっていかない!授業の邪魔をする!…等々、徹底的に反抗する問題児だったのです。当時の私は、PTA会長として頻繁に学校に出入りしていたのですが、先生方への挨拶は「迷惑かけています!」と深々と頭を下げることでした(汗)

 

友達に頼りにされた思春期

こんな問題児でしたが、冒頭で申し上げた通り、小学校高学年からは特にトラブルもなく、ぶつかり合った友達ともその後良好な関係を築いていました。また、交友関係も広く、当時180名からいた同級生を殆ど把握していました。そして、小学六年の時だったでしょうか、同じクラスの保護者様から、三男が(お子さんの)話(悩み)をよく聞いてくれると感謝の言葉を頂きました。悩みの聞き役をしていたようで、中学校に入ってからも同様の話を数人の方から頂いたことからすると、友達から必要とされる存在であったようです。

 

対人関係の問題は自分で解決?

大抵の場合、思春期以降特に対人関係において何かしらの悩みや問題を抱え込むものですが、このような育ちのためか三男については、対処しなければならないことは一度もありませんでした。勿論、親が気付かないだけで、一人で抱え込んでいたのかも知れませんが、精神的に不安定になることなど皆無で、すべて自分で解決・処理していたと思われます。広い交友関係を持ちながらも、悩みを持ち帰らないということは、三男は成長の段階で問題解決能力を含むコミュニケーション能力を培っていたのではないかと思います。

私自身、今の時代を生きるために、このコミュニケーション能力が重要な役割をするとの考えは持っていますが、三男に意図的に「教育」した訳ではないので、自ら学んだとしか考えられません。では、どこでどのようにして学んだのか…

今振り返ると、恐らく幼少期の「ぶつかり合い」の中で学んでいたのではないかと考えられます。

 

コミュニケーションの基礎を築く時期

心の発達段階の理論において、4歳頃から10歳にかけての時期は、子ども達だけで集団を形成して行動する(NAPではこの世代を「群れ遊び世代」と呼んでいます)と言われていますが、この段階では自分達の中だけでの勝手なルールを作り、遊び(行動)を展開します。ただ、個々では「やんちゃ・おてんば」と言った主導的な行動が優位となり、また、ルールの本当の意味が理解できない段階であるため、当然ぶつかり合いが起こり、喧嘩やいじめに発展することも頻繁に起こります。ですが、これもまた感覚で行動していますから、自然と仲直りしまた遊び始めるものです。この視点から、「やる痛み・やられる痛み」を子ども同士のぶつかり合いから感覚的に培っているのだと私は捉えているのですが、今、三男の成長を振り返ってみると、これが問題解決能力を含むコミュニケーション能力の基盤となったのではないかと思うのです。

 

周囲に肯定されることで育つ心

また、三男のこのような育ちには、もう一つの要因があると私は思っています。それは、三男の一連の行動が『いじめ』と問題視されたり、保護者同士のトラブル等、深刻な問題に発展せず、反抗した先生も含め、ご迷惑をおかけした皆様が「子どものことですから」と言って、笑って許して下さったことです。皆様が大変な事を仕出かした三男を『受容』し最終的に『肯定』して下さったのです。これにより、三男の中に他者を受容する肯定的な心が育ち、コミュニケーション能力を培うことができたのではないかと思います。

 

大人の介入が心の成長を抑制する?

最近では、幼児期であっても子ども同士の些細なぶつかり合いを『いじめ』等と問題視し、子どもの集団に大人が介入して行為を否定したり、あるいは、子どもの喧嘩に保護者が登場し「やった!やられた!」等と言って、トラブルとなるケースをよく耳にします。これらすべてと言っていいほど、大人の立場や感情によるものであると共に、その論争では、子どもの事と口にしながらも、その存在が全くと言ってよいほど感じられないのです。保護者を筆頭に周囲の大人達がこのようなことをしていたのでは、子どもの心が育つはずはなく、逆に深刻ないじめや痛ましい出来事の温床となっているのではないかとさえ思えてきます。

ですから、三男の成長を振り返って、この幼少期のぶつかり合いは、将来の「厳しい外社会での生きる力」のベースを培う行動ではないかと私は考えています。私も子どもを取り巻く大人の一人として皆様と共に考え、子ども達を受容し肯定する…NAPはそんなクラブであるために努力する所存です。

最後にご迷惑をおかけした皆様に対し、この場を借りて「親」として再度お詫び申し上げると共に、寛大なお心に敬意を表する次第です。

そして、その後の三男は、友達の悩み相談が高じて、大学では臨床心理を専攻。大学のレベルはさて置き(笑)、現在は法務教官として某国家機関に勤務していることをご報告し、御礼とさせていただきます。。

とは言えお堅い仕事ですから…不祥事を起こさなければいいが…と思う今日この頃です。

やっぱり親バカですかねぇ!?

 

きららカップでは、日本記録保持者の中村克選手がレース後、周囲に“礼”をする姿に観客から拍手が起ったことが印象的でした。日本を代表する選手の人間力は人の心を動かすものですね!

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