我子が社会人となる節目に…
このテーマで書き始めてはや3年、9回目の投稿となりました!
3年も経つと、我が家の「男子(だんご)三兄弟」も生活環境が大きく変化。大変私事ではありますが、今年(平成30年)4月、最後の学生であった三男が就職。長年続いた「扶養家族控除」という私の税制優遇措置が解除されたことをご報告します(涙)。でも…
喜ぶべきことなんでしょうねぇ(笑)。
しかし、何度目の節目でしょうか? 子どもも親も、その節目毎に様々な葛藤があり、それを乗り越えて子どもは行動範囲を広げ、新たな環境へ身を移して行く…それを「成長」と呼ぶのかもしれませんが、今号では社会的評価を理解できるようになってからの次男・長男の行動を振り返ってその「成長」を考えてみたいと思います。
義務教育後の外社会=高校生活
まず、小学校4年で不登校となった次男は、不登校解消後中学校へ進学。入学式翌日にいきなり休んだもののその後は休まず登校。義務教育における社会的評価の集大成=高校受験では、何故か「学校は近い方がいい!」と、家から校舎の見える某高校を希望。塾へは行かず成績のいい友達と仲良くし、家に遊びに行っては、試験への対策を聞いたり、分からないところを教えて貰っていたようです。
高校受験に対して親が特にしたことはなく親からすれば安上がりの受験生でしたが、希望通り家から歩いて5分の某高校へ合格。
高校では勉強・部活・その他友達との関係を楽しんでいたようで3年間皆勤賞。中でも、部活動は中学校の継続でバレーボール部へ入部。入部してみると運動が盛んな学校でありながら、男子バレー部は廃部寸前。その中で必然的に中心にならざるを得ず、3年の時は、キャプテンに。しかし、部員が集まらず高校最後の県大会では出場辞退の危機に。出場したいとの想いから、毎日部員の勧誘に走り回っていたようです。そして、何とか部員を集め大会に出場。最後の試合は私も観戦に行きましたが、目を覆いたくなるプレーの連続(涙)。勿論初戦敗退。しかし、下手なりに、気持ちを感じたことを記憶しています。
家から離れ一人で外社会へ=大学
部活引退後は大学受験。推薦入学を希望し、希望通り県外の大学へ。初めての一人での生活ですが、何とかやっていたようで、引っ越し以外は親が行かなければならないようなことは4年間一度もありませんでした。
大学では、大した成績ではありませんが、単位は順調に取得。大学以外では、アルバイトにも精を出し、稼いだお金で自動二輪の免許を取得し中型バイクを購入。これに対して妻は「危ない!」と言って猛反対。しかし、次男は全く動じず、淡々と手続きを進めていました。以前から子ども達に「自分で稼いだお金であれば、使用の決定権はすべてお前達にある」等と偉そうなことを言ってきたことがこのような行動になったのでしょうか?…妻には散々非難されたことは言うまでもありませんが…(汗)このような行動をとられると、親としては、当時未成年だった次男の要請に応じて保証人の欄に押印するしか選択肢はありませんでした。
外社会での重要な評価・・・部活動で全国大会出場を目指す
次に、中学校2年生で不登校となった長男ですが、約1年後登校再開後、市内の某私立高校へ進学。次男と同じく親しい友達と一緒になれる部活動を楽しみに登校。しかし、毎週月曜日を自主休校。2年生への進級が危ぶまれるなか、1年生の2学期頃から行動が変化。毎日登校し勉強も自主的にするようになりました。同時に部活(合唱部)も全国大会への出場を目指して取り組みも変化していきました。
手が掛らなくなるとお金が掛る?
その後、2年生の秋だったでしょうか突然「K音大(東京立川市にある音楽大学)のオープンキャンパスに行ってくる!」と言いだし、約1週間一人ででかけたのです。そして、帰って来るなり「教授にちゃんとレッスンを受けたら合格できると言われた。だから、来月からレッスンに行くから!」と完璧に舞い上がっているのです。行くから!…と言って、東京まで毎月レッスンに通うと言うのですから、タダでは行かれないのであって…親としては…簡単にウンと言える訳などないのです。しかも、合格でもしたらとんでもない学費を支払わなければならなくなることも…しかし「決めて来たから」と言って譲らないのです。こうなると、親としては資金を工面するしかないのです。
当時、「子どもは手が掛らなくなると、お金が掛るようになる…」というテレビCMを身につまされる思いで見ていたことを思い出します(笑)。
こうして約1年レッスンに通い、何とか…いや、当然!?合格。東京での一人暮らしが始まりました。親としては、学校のことよりも、一人で生活できるかという心配がありましたが、行ってみれば何とかやるもので、困って親を頼ってくることもなく4年間を過ごしていました。在学中は、全国放送のテレビ出演(合唱団のその他大勢ですが)等、地方の大学ではできない演奏活動を経験するなど、音楽活動を楽しんでいたようです。
また、活動資金を得るために、ファミリーレストランで接客の仕事を始め、不登校時の昼夜逆転の生活経験からか(?)、深夜の勤務を希望し短時間でそこそこ稼いでいました。発達障害的素因のある長男ですが、このアルバイトも楽しんでいるようで、殆ど家には帰って来なくなりました。
要請に応じて支援するだけ?
以上、簡単に大学までの次男・長男の行動をお伝えしましたが、共通して言えることは、高校・大学進学、そして在学中、部活や打込んだこと、すべてと言っていいほど、親である私や妻が指示しやらせた事ではありません。自分で見つけ、誰に言われる訳でもなく、自分の意志で決定し行動したと言えます。そうなると親としては要請に応じ支援できるかどうかを考えるだけでした。これは、決して「言いなり」になっていたのではなく、子どもの意志を主体とする視点に立てば必然的にそうなるのです。
外社会での戦いに自ら挑んでいく
また、中学・高校と言えば、思春期であることから、友達や学校との関係で悩む時期です。当時、高校のPTAでは「ネットいじめ」等が問題となり、携帯電話等、SNSを制限しよう等と、議論が活発に行われていましたが、我家では親が手出ししなければならない問題など皆無でした。
勿論、悩みがなかった訳ではありません。自分の目的達成のため、課題克服への前向きな悩みであり、その解決について、意見を求めてくることはありました。特に二人ともアルバイトを始めた頃は、上司や同僚との関係をあれこれ言ってはいましたが、次男はバイク購入費、長男は演奏活動費と明確に目的をもっていたので、自分で解決していきました。
考えてみると、学校・アルバイトetc.それらすべて「外社会での戦い」なのです。そして今の豊かな時代ではその戦いは「大変厳しい」ものです。親としては、「保護」という心からそんなところに行かせるわけにはいかないという想いもあります。
しかし、我子の成長を振り返ると、親が至らぬ手出しさえしなければ、子どもは「願望」を基準に、その厳しい戦いに自ら挑んでいき、それを乗り越えて行くものなのではないかと思えてきます。そして、次男・長男の不登校(引きこもり)はその戦いのための準備期間だったのではないかとも思えてくるのです。
『11月にきららプールで行われた秋季マスターズ大会。一年間この日のために、命の危機を感じながらスイム・ウエイト両トレーニングを頑張ってきました!結果は…来年も頑張ります??応援ヨロシク!
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