親がいても子は育つ! 自分の足で歩くことが必要な時代~中村社長のコラム~

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『大学の書類を送るから、印鑑を押して返送して!』・・・

昨年末のことですが、東京で暮らしている長男からこんなメールが入りました。大学はすでに卒業しているのになぜと聞いてみると、専門課程履修のため、来春からまた大学に戻ることが決定したとのこと。普通このような場合、事前に親には相談、もしくは経過の報告があってしかるべきことなのですが、何の相談・事前報告もなく突然のことでした。

 

ニート・フリーターの生活

少々経緯のご説明をすると、長男は昨年の春東京の某大学を卒業し、そのまま生活を続けていました。在学中、就職活動など全く行わず、卒業後は今の言葉で言うと「ニート」。昨年の7月頃からようやくアルバイトを始め、いわゆるフリーターに。一応食費ぐらいは稼いでいるようです。
私としては、このような状況となることは想定の範囲内でしたので、在学中から卒業後の方向を何度も訪ねていましたが、返答はすべて生返事。さすがの私もどうなることかとあれこれ思いは巡りましたが、動こうとしない長男に対して打つ手がないまま時が流れてしまったという状況でした。
その後も、来年どうするつもりなのかを問いかけていましたが全く同じ反応で、このまま来年も・・・と思っていたところに突然のメールだった訳です。結論からいうと親に言わないだけで自分なりに進む方向を決めていたようです。

 

長男のこれまでの成長

長男は私が29歳の時、第一子として誕生しました。幼少の頃から割と何でもこなし、決して100点はないもののすべてにおいて80点という子でした。中でも水泳と音楽は教室に通わせ、水泳はNAPの選手育成コース。県内大会では小学校同学年3位以内に常時入賞していました。音楽はピアノの個人レッスンでコンクールにも毎年出場。賞をもらったこともありました。学校は地元小学校から入試制度のある市内某中学校へ進み、高校は市内の私立高校。そこで音楽(合唱)に目覚め、東京にある某音楽大学の声楽科へストレートで進学。音大在学中は、合唱団のその他大勢ではありますが、テレビ放映される演奏会へ何度も出演し、また、東北震災のチャリティーとして対象地域での演奏会に毎年参加するなど活躍していたようです。学業の方も通常のカリキュラム以外に教職も合わせて履修し、すべて単位を修得、昨年の春卒業に至りました。
…と、このように言うと、順風満帆な育ちをしてきたと思われることでしょう。ところがそうではないのです。

 

不登校・引きこもりの時期も

長男は、幼少期には手のかからない子でしたが、風変りで感情を表に出さない側面がありました。また何かにつけ「こだわり」が強く、対人関係も苦手なのか、友達が遊びに来ていても自分一人違うことをしている等、コミュニケーション能力は低く、今の時代であれば発達障害と診断されても不思議ではない行動スタイルでした。
そして、中学2年の秋に突然学校へ行かなくなり、それから1年間不登校が続きました。その時は昼夜逆転の生活で、家から一歩も外へ出ることもなく、まさに「引きこもり」。勉強など全くしないので、高校進学すら危ぶまれました。何とか高校進学はできたものの合唱に目覚めるまでは休みがちで、入学直後の一学期末には私も学級担任に呼び出され「このままじゃぁ2年に進級できませんよ!」と厳しく叱責されたことを思い出します(汗)。

 

自分の足で歩く時代

こんな状態の長男でしたが、不登校をしていた時、そして今年、就職もせず東京で暮らしていることに対して、多くの方にご心配をいただきました。特に中学校の不登校では「このままでいいの!」「今外へ連れ出さないと一生続くよ!」「子どもの好きにさせていたらとんでもないことになる!」などと心配と共に半ば親としての姿勢を批判されることもありました。しかし、私としては、長男が自分から行動を起こすまで待つしかないと考えていました。それは、これからの時代、親が子どもの人生をどうにかすることはできない、言い換えるなら、子どもが自分の足で歩いて行かなければならない時代であることを、身を以て感じていたからです。

 

親が敷いたレールに乗れば幸せだった時代から一転

私達現代の大人が育った昭和の時代(後期)では、子どもを無理矢理にでも高校・大学に進学させ、親が走りまわって就職先を探し就職させれば良かった時代でした。子どもからすれば「親の引いたレール」に乗っかっていれば幸せになれたのです。それは、経済大国となった日本において、右肩上がりの高度成長を背景に「年功序列」「終身雇用」「定年・退職金制度」「年金制度」と一生が保障される制度が整っていたため、「就職」することで一生が保障されていたのです。つまり「就職」することが人生の目標だったと言っても過言ではなかったのです。
しかし、現代の子ども達が生まれた平成ではバブル経済と呼ばれた好景気後一転、右肩下がりの「デフレ」の時代となり、先に述べた社会の制度がすべてと言っていいほど崩壊してしまったのです。ですから、これから・・・いや、今の時代は親が引いたレールでは幸せが保障できなくなったのです。そして、就職してもそこからが勝負で、給与も能力・業績を基準として評価され、自分から考え行動できない人材は取り残され、「リストラ」と称して切り捨てられることさえ当たり前の世の中になったのです。これらのことは「雇用主」として私自身強く感じていることです。今、そしてこれからは、自分自身の足で歩き、自分で切り開いていく力が必要なのです。

 

徐々に自立へと向かっていく

こんな考え方で長男に接してきましたが、不登校も一年続いた後、自然と外(学校)へ出ていき、その後一応でも「やりたいこと」を決め、それに向かって進みました。今回もよく聞いてみると大学2年生の頃から履修科目の関係で卒業後に進むよう決めていたようです。また、自閉的要素が強く、コミュニケーション能力が低い性格ですが、中・高時代の友達とも良好な関係を保っています。アルバイトもファミレスですが接客の仕事を続けていて、バイト仲間とも楽しくやっているようです。まぁ、多少「親バカ」が入っていますが、何とか自分の足で歩いているのではないでしょうか?
「求められるまで手を出さない、求められたらすぐ助ける」…「優しいお母さんになれる子育てのヒント(雲母書房)」の著者である樋口邦彦氏が幼児期の子育てとしていつも語っておられる言葉ですが、長男の成長、そして私の長男に対する係わりを今振り返ってみるに、殆どがその逆だったように思います。不登校や一連の問題は、「親の過干渉」からの長男なりの能動的な離脱だったのかも知れません。
・・・と言いながらもお金だけはまだまだ離れてくれません。
「子どもは手がかからなくなるとお金がかかるようになる!」
こんなテレビCMのフレーズが頭から離れない今日この頃です。本当の自立はいつになるのでしょう(涙)
こんな考え方が良いかどうかは結局ところわかりませんね。

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