「こんな私はやっぱり親不孝者ですかねぇ?皆様のお裁きをお待ちしております!」
こんなフレーズで締めくくった前号ですが、その後NAP通信モニターの皆様を始め、寄せられたアンケート集計の結果は!
評価点10点満点中
「8・0点!」
これまでは平均9・3点の評価をいただいていましたので、過去最低点・・・見事なお裁きを頂戴致しました!!
勿論、好意的な意見も沢山いただきましたが、全体の評価として受け止めています。こんな親不孝者ですが、再度両親の事、自分の過去について考えるきっかけとなりました。アンケートにお応えいただいた皆様ありがとうございました。ということで今回は19年前に他界した父親のことを考えてみたいと思います。
そう言えば、私の子どものことについては何度もお伝えしてきましたが、私自身の親・兄弟についてご紹介したことはありませんでしたね。この機会にご披露させていただきます。
教師一筋の両親
私は3つ違いの兄と父母合わせて4人家族という環境で育ってきました。兄は地元高校を卒業後体育学部に進学、現在体育教師として山口市内の中学校に勤務しています。
父は高校の体育教師で平成元年に退職、その後NAPを創設しましたが、平成6年に逝去。私が2代目として現在に至っています。
母は前号でもご紹介した通り音楽教師として山口市内の中学校に勤務。退職後は孫(兄の子)の子守りをしながら依頼を受けて音楽の指導を行ってきました。高齢になった今でも指導の依頼が寄せられているようです。
こんな教師一家ですが、両親ともに教師生活35年以上というこの道一筋の人間で、管理職への道へは進まず退職まで一教師として専門分野や生徒指導等々、指導者としての道を突き進んできたようです。
親が仕事に一生懸命になると・・・
しかし、今も昔もどのような家庭でも、親が仕事に一生懸命になると家庭は犠牲になるもので、両親は不在であることが多く、私達兄弟は幼少時代はいつも預けられ、小学校では参観日に親が来ることなど殆どなく、かろうじて運動会だけは母が来ていた記憶が残っています。特に父は高校で水泳部の顧問(監督)であったため、毎日帰りは遅く土日は練習か試合。そうでなければゴルフ。ですから、私達兄弟には「父親とは家にないもの」という概念が植え付けられていました。
一方母はと言うと、これまた帰りが遅く、帰宅した時の私達兄弟の出迎えの言葉は「おかえり!」ではなく「腹へった!」でした(笑)。そして、日曜日も月の半分は不在で、私達兄弟は「ほったらがし」で育ってきました。まぁ、中学校からは食べるものさえあれば両親はいない方が良かったのですが、今思えばよく非行に走らなかったものです(笑)
放任のなかで父親の像とは
前号で母に対する私の感情をお伝えしましたが、父に対してはというと・・・「出張の時は必ずお土産を買ってきてくれた」「キャッチボールをしてくれた」等々、母とは全く逆で良い思い出ばかりなのです。また、父に叱られた記憶もありません。ましてや殴られる事など全くありませんでした。こんな父は、父親としてすばらしい人格・・・と言いたいところですが、私達と一緒にいる時間がないに等しい訳ですから叱ることができなかっただけだと思いますが!?
こんな父親との関係でしたが、叱られなかったからといって父をバカにするどころか逆に怖い存在でした。この怖さとは「恐怖」ではなく、「威厳」というものでした。そして、物心ついたころから尊敬に値する人物としてその背中を見ていたように思います。そのためか、私も兄も指導者の道に進み、兄は体育の教師、私は・・・教師の道は踏み外したものの!?指導者の端くれとしてこんな仕事をしています。
先ほど「よく非行に走らなかったものだ!」と申し上げましたが、全くの放任、そして家に居ても教師という仕事柄、教育者としての振る舞いをする母へは反発を繰り返した私達兄弟ですが、このような父親像があったから思春期に心が大きく揺れなかったのだと思います。勿論、他にも要因はありますが父の影響は否定できません。
私達兄弟にこのような父親像ができあがったのは父親の振る舞いもありますが、母の私達への働きかけが大きく関係しているのです。それは・・・私達が大人になるまで私達の前では、常に父親をたて、絶対に悪口など言わなかったのです。そして、母の口からは父親の学校での功績や家には不在であるものの私達の事を大切に思っていることなど聞かされていました。その過程で父親の像が出来上がっていったのだと思います。
思春期を越えるまでの父親の関わりとは
「やさしいお母さんになれる子育てのヒント」(雲母書房)の著者であり、毎月行っている「子育てヒントのお話し会」でおなじみの樋口邦彦氏は、父親の関わりとして様々な視点でお話しをされていますが、その中で「思春期を越えるためには子どもがお父さんを大好きになる関わりが大切」と語られます。そのためには、父親が直接叱らないこと、母親は子どもがお父さん大好きになる仕掛けをすること等語っておられます。この話を最初に聞いた時、母親のことが思い浮かび自分の中での父親像が出来上がった理由が理解できたことを思い出します。当時の私は樋口氏の話により多くのことを気づかされたのですが、こんな両親だったから無理をして威厳のある父親を演じようとしていた自分に気がついたのかもしれません。
実はとんでもない父親・・・??
父親の7回忌の時、法事を終えて父の仏前で兄と二人で飲んでいた時のことです。母が突然結婚当初から私達が生まれた時、そしてその後など、昔の父親のことを語り始めたのですが、それによると私達の知らないところで父はとんでもないことをしでかしていたようで、随分母を泣かせていたようです!そんなことを延々と語り始めたのですが、そんな話を聞きかされて私と兄は・・・大爆笑!!
「オヤジも仕方ないヤツじゃのぅ!」と言いながら、逆に根掘り葉掘り聞き出してはまた大笑い。そんな母の「辛い思い出(?)」を肴に記憶がなくなるまで飲み明かしたことを思い出します。しかし、この話を子どもの頃聞かされていたらどうだったか・・・今の自分はなかったかも知れません。最終的には「父の威厳」とは「母の度量」の裏返しなのでしょうか?ただ私の経験から言える事は、お父さんはとにかく子どもと仲良く!そして、家族のために一生懸命働くことでしょう!
その夜、焼酎やワインを5、6本空にして、その場でひっくり返って寝ている私達兄弟を見て
「昔のオヤジそっくりじゃねぇ!」
と母が語ったと後に妻から聞かされました。まぁ、子どもは親のまねをするものですから・・・。62才であの世に旅立った父。私達兄弟も長生きはしないのでしょうねぇ。皆様は絶対にまねはされないように!!