昨年末のことですが、84才になる母親を連れて2泊3日の旅行に出かけました。旅行と言っても目的は、NHK交響楽団の「第九演奏会」。その演奏会に音楽大学で声楽を学ぶ長男が合唱団の一員として出演するので、孫の晴姿を見せておこうと遙々東京まで連れて行ったのです。
早い話が、子どもの発表会に婆ちゃんを連れて行ったというだけのことですが。大学生ともなるとスケールが大きくなり、かかるお金も桁が一つ増えるものです(汗)。
ですが、晴姿とはいえ250人からいる大合唱団の中の一人、早い話が「その他大勢」なので、客席からだとオペラグラス、いや双眼鏡でもない限り何処にいるのかわからない状態で、テレビで見た方がよくわかるのです。(この演奏会は毎年大晦日の紅白歌合戦と同時間帯に教育テレビで放映されています)ですから、わざわざ大金を払ってまで見に行く必要はないのです。しかも長男が出演したのは今回で3回目。毎年テレビで見ていたのに、どうして今年に限って連れて行ったのか・・・別に臨時収入があったからではありません!?(笑)音楽の教師として長年音楽の道を歩んできた母に、LIVEで見せておきたいと思ったからです。早い話が○○の土産にと思っただけですが・・・。
とんでもない親不孝者!?
こんな話をすると親孝行な人間に思えるでしょうが、実の所を言うと私はとんでもないスネかじりの親不孝者で、特に成人してから母に対しては口のきき方も上から目線の命令口調、平気で「おまえ!」などと呼び捨てするし「うるさい!」「黙っとけ!」など罵声を浴びせることもしょっちゅう。ある時「あなたの子どもの頃は仕事ばかりで良い母親でなかったね。」と言ったことがありましたが、私の返した言葉は「全くそのとおりじゃ!」・・・まぁ、こんな接し方なので、妻を始め多方面からお叱りを受けるのですが、特に母が教育論を語り始めた瞬間、説明のしようのない感情が突き上げてきて、思わず母に罵声を浴びせてしまうのです。私が母に対してこのような対応をする・・・いや、してしまうのは何故か?以前色々と考えたことがありました。
三つ子の魂とは・・・
私の母は先ほど申し上げたとおり、元中学校の音楽の教師。市内某中学校に長年勤務し退職したのですが、音楽だけでなく学校では生徒指導も含め熱血教師だったようで、母の教え子の皆様に出会うと、必ずと言っていいほど感謝のお言葉をいただき、そのお言葉から母も想いをもって教師という職務を全うしてきたことは理解できますし、仕事人として尊敬に値する部分はあります。しかし、母が教師であったということが先に述べたような私の行動に繋がっているのではないかと思っています。
私は、母が教師という仕事を持っていた関係で、預けられて育ちました。今と違って育児休暇という制度はなく、赤ん坊の頃から近所に預けられていました。時代的に「母親は家にいて子育てをするもの」という考えが主流であった時代なので、母も当時は大変だったようですが、この「預けられた」ということが辛い記憶として今でも残っているのです。正に三つ子の魂、心理学的に言うなら無意識の中に刻み込まれているようです。説明し難い感情とはその無意識からの衝動ではないかと思いますが、なぜそんなものがこみ上げてくるのか・・・。
子育てヒントのお話し会でおなじみの樋口邦彦氏から、心理的発達段階論や子育て論を学ぶ中、「母という暴力」(芹沢俊介著 春秋社)という本に出会ったのですが、その著書の中で「生まれることは子どもにとっては責任のとれないこと」との表現が記憶に残っていまして樋口氏のお話し会でも必ず語られることなのですが、このことを芹沢氏は「イノセンス(無罪・潔白)」という言葉で表現されています。子どもの心には「生んだ以上、責任をとってくれ!」という心が存在すると言うのです。この心は自分を生んだ人、つまり母親に向かうと本の中では語られています。
まぁ、この考え方がどうかは別として、私の母に対する一連の行動はこの「イノセンス」の表出ではないかと考えると理屈が通ってきたことを思い出します。それと同時に自分も親になり、子どもの反発が明確に現れるようになってこの「イノセンス」という考え方でみれば納得がいったのです。
責任を問う心は誰にもある
考えてみれば、人間誰しもそうなのです。私もそうであれば子ども達も・・・もっと言うなら母も生まれた事に対して自分自身では責任がとれないのです。だから当然その責任を問いかける心をもっているもの。そのように考えるようになってから、いや、気がついてからという表現の方が正しいかもしれませんが、母に対しても口のきき方は変わらないものの、キレるということはなくなり、自分の子どもに対しても受け入れという心のスタンスがとれる様になった気がします。その意味で芹沢氏の著書や樋口氏の子育て論は大変参考になりましたし、大切なものに気づかされたように思います。お陰で母親を含め家族との関係が本当に「自然」になったと思います。
演奏会の終了後の一言とは
そんなことをあれこれ考えている間に年月は流れていくもので、母親も基本的に元気のいい人間なのですが段々と弱ってきて、頭ははっきりとしているものの、足腰が弱り、昨年腰を痛め一時寝たきりの状態に。そんな母親を見ていて「今連れて行かないと」と思ったのですが、頼まれた訳でもないのにそんな気持ちになる自分が不思議でした。
演奏会前に、私達が宿泊しているホテルに立ち寄った長男が出演衣装のタキシードを着てみせると、嬉しそうに写真を撮っていましたが、演奏会が始まり、最初のパイプオルガンの演奏では身を乗り出し、その後N響による第九が始まると孫の姿を探すより、聞き入っていました。
そして演奏会が終了し、会場の外に出たとたん
「やっぱり本物を観んにゃぁいけんねぇ!!」と一言。
私としては
「ありがとうを先に言わんか!」
と言いたくなりましたが、孫の晴姿よりも演奏の質。音楽の道一筋の人生を歩んできた母。色んな意味で相変わらず分かっていないなと思いながらも、昔のようにキレることもなければムカつくこともありませんでした。そんなオチのついた2泊3日の旅行でした。
ということで、今回は「親不孝者の親孝行物語り」とでも題したい所ですが、連れて行ったとは言え、母と二人なんてとんでもないので、妻を同行させ、三日間母の面倒はすべて妻まかせ。しまいには二人をホテルに残して買い物にいきましたぁ!(せっかく東京までいったのですから)
こんな私はやっぱり親不孝者ですかねぇ。皆様のお裁きをお待ちしております!