この秋たまたまではありますが、大学に進学した長男・次男がいる東京(長男)・福岡(次男)に続けて出張が入り、長男・次男に現地でこんなメールを送信してみました。
「今、出張で近くに来ている。一緒にメシでも食うか?」
私も一応親ですので、やっぱり子どものことは気になるもの。特に今年は次男が大学に進学し、5人だった家族が3人に。私自身、ほとんど家にはいないとは言え一抹の寂しさというか何というか・・・まぁ、こんな私でも子どもの顔がみたくなるものです。しかし、正直なところ、メールをするかどうか迷っていました。
実のところ、妻のいないところで長男・次男とそれぞれ一対一で食事をすることなど今まで一度もなかったことに加え、二人とも高校までは私と一対一で出かけることなどあからさまに拒否していましたので、恐らく「忙しい!」などと言って断るだろうと思っていました
家庭教育という大義名分
最近NAPにご入会いただいた方やこの通信を初めて読まれる方のために、簡単に私の子育てに関する自己紹介をさせていただきますが、私は妻と子ども3人の5人家族。子どもは現在大学3年(21才)・大学1年(19才)・高校2年(17才)の男ばかりの「だんご三兄弟」です。
今では「イクメン」という言葉も生まれたくらいお父さんが子育てに関わることは極々当たり前のこととなりましたが、長男が生まれた頃(平成3年)は「父親の子育て参加」という言葉をチラホラ聞くようになった程度の時代でした。私としては仕事柄、結構子育てに関わった方だと思いますし、三男が生まれた平成7年からNAPの代表となり、スイミングクラブという事業と子育てを重ね合わせて考えるようになりました。
そんな中、当時の私は「父親とは厳しく、いざと言うときは怖い存在でなければ!」などと崇高な父親像を描いており、大学時代に学んだバリバリの体育会の作法で子育てに関わっていました(笑)当時を思い出せば、「言うことを聞かないから怒って!」と妻が言えば「俺の出番だ!」と言わんばかりに叱り飛ばし、あれダメこれダメ・・・上から目線で厳しく躾たものでした。また、家族で海に行けば、嫌がって泣き叫ぶ長男を無理矢理海の中へ引きずり込んだり、次男が幼稚園の時、これまた嫌がるのに何度転んでも自転車の練習をさせたりetc。まぁ今思えば幼児期から児童期にかけて長男・次男にはひどいことをしたものです。しかし、当時は「家庭教育」そして「躾」などと言う大義名分のもと『良かれ』と思っていましたが、今思えば暴力以外の何物でもなかったように思います。
力関係に差がなくなると 行動に変化が現れる
考えてみれば、ただ単に力関係で私が優っていたからこそできたことなのです。だから力関係が接近してくるとその暴力に対する反発・・・ぶっちゃけて言うなら「仕返し」が始まるのは当然のことです。心が変化する小学4年生頃から変化が現われ、中学生になる頃には私には一切近づかなくなり、話しかけても無視。勿論私の言うことなど殆ど聞かなくなりました。
幸いその頃「子育てヒントのお話会」でお馴染みの樋口邦彦氏の子育て論と出会ったお陰で、私の子育てに関する考え方も180度転換していましたので、そんな長男・次男の態度の要因が私自身にあることを十分に理解していましたし、どんな態度を取ろうとも受け止める心のスタンスでいました。そのためか、それ以上の問題はありませんでしたが、私が昔のままの考え方でいたら、ひょっとして取り返しのつかないことに発展していたかも知れません。その可能性は十分にあったと思います。
家庭・家族は居場所であること
私と長男・次男とはこのような経緯で今に至っているのですが、こんな私でも良くも悪くも子どもの幸せを願ってのことでした。ただ、以前の私は時代の変化を理解しておらず、豊かさの獲得を目標としたインフレの時代の子育て感を、この豊かさを獲得したデフレの時代にそのまま行っていたのです。子どもの心の成長のためには「親とは保護者であって教育者ではない。家庭(家族)とは居場所である」このような樋口氏の考え方に頭を打たれたことを思い出します。当時の我が家は子ども達にとって居場所とは言えなかったかも知れません。
安心のベースがあるから戦える
「家族の支えがなかったらこの偉業は達成できませんでした」今年はこんな言葉をよく耳にしましたね。ロンドンオリンピック卓球女子団体で銀メダリストとなったNAPの卒業生・石川佳純さん、そしてノーベル医学・生理学賞の山中教授も記者会見で語っておられましたね。私は彼らのこの映像から戦いの後の安堵感、言い換えれば「安心」を感じたのですが、それに樋口氏の言葉やこれまでの私の子育ての失敗(!?)等がオーバーラップし、家庭・家族が「安心のベース(基盤)」であることを考えさせられました。
大競争社会となった現代。スポーツや研究も含め社会そして子ども達にとっては学校も、まさに戦いの場です。こんな厳しい時代を生き抜くためには「安心のベース」が必要なのです。その基本単位が家庭であり家族であることを改めて感じました。それと同時にNAPも家庭や家族と同等の機能は果たせないものの、その次に安心できる場所となるよう努力していきたいと思います。
と言うことで、メールの送信のその後はと言うと・・・長男からは「今日はダメだけと明日だったら大丈夫」。一番私を拒否していた次男からは「いきまぁ~す!」と一言ですが絵文字付きのメールで返信されてきました。そして、長男とは飲みながら夕食を、次男とは昼食を。男同士ですから話が弾んだとは言い難い状況でしたが、学校やアルバイトのこと等あれこれ話しながら時が過ぎていきました。その後面白いことに、長男は「美味しいうどん屋があるから行こう!」と言いだし、次の日わざわざ電車を乗り継ぎ埼玉へ。食べたのは讃岐うどん・・・東京へ出張して埼玉で讃岐うどん??ちょっと不思議な感じでしたね(笑)。軽音楽サークルに入部している次男は「面白いギターがある楽器屋に行こう!」と父子二人で福岡天神にある楽器店を三軒ハシゴ。こんな中村家始まって以来の出来事でした。
長男・次男ともやっと私に対して「安心」ができたのでしょうか?本当のところはよく分かりませんが、一人の生活はというと、何とか自立して頑張っているようでした。でもその反面、家に帰ってきた時は一日ゴロゴロしていますけどねぇ。まぁ、それでいいでしょう(笑)