レイチェルカーソンが「沈黙の春」を上梓したのが、1962年。約60年も前のことです。その時点でレイチェルは農薬や化学物質等が自然界や人体に及ぼす危険性について述べていました。なかでも、生物濃縮の怖さについては、当時の世界に衝撃を与えました。人類が自然界のバランスを無視して、便利さや利益を優先しすぎる危険性は、現在にも通じるものがあります。
このレイチェルの主張には賛否両論あり、沈黙の春が爆発的に売れる一方で、非難の声も多く上がりました。しかし、そのレイチェルの主張を(残念ながら)裏付ける事態が世界で続発します。その一つが日本の四大公害病の一つ、水俣病です。最近、ジョニーデップ主演の映画「MINAMATA」が公開されたことで、この事件が再びクローズアップされています。大企業が海に薄めて流した水銀が生物濃縮され、魚を食べたネコに原因不明の症状がまず現れ、そして人間の発病へとつながり、その因果関係が証明されたのが1968年。水俣で安全に魚が食べられるようになったのはなんと1997年だそうです。
なぜそのようなことが世界中で起こり続けているのか、その根本的な原因は、人間が自然から離れすぎているからだと思います。土の感触、草原の風の匂い、木々のざわめき、潮風の冷たさなど、子どもの時から原体験として感じることがとても大事だと思いますし、大人になってからも定期的に自然に触れる機会をもうけるべきでしょう。近年でも東日本大震災に伴う福島原発の汚染水を海洋放出するという決定を行い、「仕方ない」「100倍以上に薄めるから大丈夫」などと言っていますが、映画MINAMATAでも同じような台詞があり、その構図は何十年経っても全く変わっていないのだなと、映画を観て感じてしまいました。
非力な自分にできることはほとんどありませんが、イベントなどで子どもを自然の中に連れ出すこと、アウトドアの魅力を雑談などで伝えていくこと、などできる範囲でやっていきたいと思っています。テレビやインターネットなどの情報だけで全てを知ったつもりになると、いつか手痛いしっぺ返しがくることは、歴史が物語っています。アウトドアの魅力は様々あり、枚挙にいとまがありませんが、その一つは人間がコントロールできない、ということです。海や川の急流は人間を簡単に押し流してしまいます。カヌーやディンギーヨットなどのイベントで、人工的な流れとは異なる自然の波の動きに子どもは悪戦苦闘することがありますが、その体験をするだけで自然の驚異の一端にふれることができます。
冒頭のレイチェルカーソンは、沈黙の春出版の数年後にこの世を去るのですが、死の間際にもう一冊、「センス・オブ・ワンダー」という本も執筆しています。未完のまま終わっているため薄い本になっていますが、こちらの方が、実はレイチェルが本当に伝えたかったことなのかもしれません。その内容は、自然に触れることの大切さが事細かに語られています。
そのセンス・オブ・ワンダーの一節です。『もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=(イコール)神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。』
元気ッズ・ジュニア学童担当岸 健一
コメント