我が家の出来事をもとに・・・
前号では次男の不登校(引きこもり)の現象をお話してきましたが、今回はなぜそのようなことになったのか、私なりに考えたその要因を申し上げたいと思います。
その前に、我が家の「男子(だんご)三兄弟」は次男だけでなく長男も不登校をしていた時期があることをお伝えしておきます。三男はというと…意味もなく休むことはありましたが「サボり」の範疇で不登校と呼ぶような現象ではありませんでした。
長男は次男が登校し始めた頃(長男当時中学校2年生)に不登校となり約1年間ではありましたが、高校進学を控えた重要な時期に殆ど学校へ行きませんでした。その長男も次男とほぼ同様な現象で、さすがに「お母さん一緒に寝て欲しい」とは言わなかったものの、昼夜逆転のまさに「引きこもり」の生活。どうしたのかが分からない様子は共通していました。
手がかからなかった幼少期
我が子の不登校の現象を「赤ちゃん返り=退行」と申し上げましたが、幼少期の長男・次男ともに言えることは二人とも2~3才の時に「手がかかって大変だった」という記憶がないのです。勿論「イヤ!」が始まる時期ですから全く何もないということはありませんし、我が家の三兄弟は年齢の間隔が2才ずつなので、長男・次男は1歳過ぎた頃には妻が妊娠していて、大変なはずなのに、記憶が残っていないということはそれだけ手が掛らなかった、聞き分けがいい「良い子」だったということですね。
本来、手が掛かる時期に困った記憶が私に残っていないということは、今振り返って考えると、私が良い子に躾ていた、もっというなら当時の私が「父親とは威厳のある厳しい存在でなければならない」などと言う、上から目線の権力的な幻想を抱いていたからではないかと思います。恐らく、その私自身の考え方に我が子の不登校の要因があったと思っています。
時代の変化・子育ての構造改革?~父親の子育て参加
ちょうど長男が生まれた頃(平成3年)はバブル絶頂期、次男が生まれた頃は、崩壊が始まった時代でした。つまり世の中が大きく変化し始めた頃で、世の中に改革の必要性が訴えられ始めた時期であり、子育てにもその波が押し寄せる気配がし始めた頃でした。それは、今では当たり前となった「父親の子育て参加」。当時はそんな概念など一般的ではなく、早い話が「子育ての構造改革」ですね。そんな時代、私もスイミングクラブという仕事柄、その先駆者となるべく熱い想いで子育てに関わった、いや、関わったつもりでした。当時は一所懸命でしたが、今思えば、このことが
「たちが悪かった」のです!?
なぜ「たちが悪かった」のか・・・それは、私自身の育ちに起因しているのです。結論から言うと、人間「育てられたように育てる」のであり、考えもせずに自分が育てられた感覚で我子の子育てに深くかかわろうとしたことが不登校の要因であると今では考えています。その根本的なポイントは「時代の変化」なのです。
「良い子育て」=「昭和の子育て」
私は「教育者」の家庭で育ちました。父は高校の体育、母は中学校の音楽を専攻する教師で、教え子の皆さんの話を聞くと二人とも結構な「熱血教師」だったようです。そして、私の育った時代は「集団に従順になる子=良い子」が社会で高い評価を受ける時代であり、その良い子に育てることが正しいあり方でした。その「良い子育て」が「昭和時代の子育て」でした。
私の育った環境~教育・体育会
家では、父は留守がちであったため母の影響が強く、熱血教師だった母には相当厳しく躾けられました!そして、学校では集団第一の考え方で、体罰など当たり前。先生に殴られたら殴られたヤツが悪いという時代でした。そして、極め付けが大学の部活。典型的な「体育会」の部で、先輩の言うことは絶対。下級生には「納得」などという概念など存在せず、理屈の通らないこと、理不尽なことなど当たり前。それを「体罰」によって統制をとる世界であり、それらに耐え抜けるかどうかが個人の資質として問われ、耐えられなかった人間は「脱落者」と言う汚名を背負うことになっていたのです。ですから、それに耐え抜いた人間は社会でも評価が高く、就職も引っ張りだこだったのです。大学4年の時に水泳部の監督(教授)から「営業系だったらどこでも(どんな会社にも)入れてやるぞ!」と言われたことを思い出します。(笑)
私の育ちをまとめて言うなら、教育者である親、学校の先生、部活の先輩といった「権力」という「支配」のもとで目立った反発もしなかったのです。そのような環境で従順に育った人間は、その反発からか自分が権力的な位置に立った時、権力を振りかざし、人を支配しようとするものです。例外なく私もその中の一人でした。
まぁ、そんな人間が父親という権力者として家庭内に君臨し、2~3才の子に対して熱い想いで子育てをするのですから「たちが悪い」といった意味をご理解いただけたのではないでしょうか?まぁ、救いは一緒にいる時間が限られていたので、直接的には虐待に位置づけられるような行為はしていなかったことです。ですが、本当にたちが悪かったのは、そんな自分の心に気付いていないことでした。つまり我子のために「良かれ」と思っていたことです。その私の心が知らず知らずのうちに幼少期の長男・次男の心を抑圧していたのでしょう。
三つ子の魂は心の成長の基盤
長男・次男とも本来「意志」を獲得する段階で抑圧を受けたのですから、その前段階である「自分は受入られている」という「基本的信頼」にも揺らぎが生じていたのかもしれません。このような過去から、10歳・14歳という心が大きく変化する年齢に差し掛かった時、何かの不安を感じ二人ともそこに戻ってやり直そうとしたのでしょう。そのために一時心の成長をストップさせて自分だけの世界に入る…それが不登校(引きこもり)という行動となったのではないかと感じています。
「三つ子の魂百まで」という諺がありますが、今では理論的に裏づけがなされているように、その頃の心の成長は生きていく上で、基盤となる大変重要な段階です。そのことに当時の私が気づいていれば不登校などせずにすんだのかもしれません。
三つ子の魂を応援したい!
こんな私自身の壮大な反省のもと(!?)NAPでは心の成長段階(心理的発達段階)の考え方をベースにプログラムを行っています。産前・産後の教室、親子ふれあい教室では基本的な信頼感の応援として、親離れ子離れ教室では「自分でできる」という意志の獲得を応援する教室として、物語遊び教室ではそれらをベースに主導的に行動する、いわゆる「やんちゃ・おてんば」を応援する教室として、この「三つ子の魂」を応援しています。また、「やさしいお母さんになれる子育てのヒント(雲母書房)」の著者であり子育てアドバイザーの樋口邦彦氏の「子育てヒントのお話し会」をご案内しているのもそのためです。
ということで、次回は不登校が始まってから私自身どのように考えていったかをお伝えします。お楽しみに!
『11月20日のマスターズでは減量の成果で久しぶりに好記録。来年は20歳台に戻ったつもりで100m自由形に挑戦します。応援よろしく!』
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