人の心ってわかる? …「仲良し」の秘訣とは!?  中村社長のコラム

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shachouお父さん!わかってくれんシ!

以前、子ども達によく言われたものです。私としては、決して「頑固おやじ」のつもりはないのですが…。
最近で言えばちょうど一年前、三男と大学進学について話をした時のことでした。志望大学について議論になり、進学の考え方も含めて私が意見したことからなのですが、側にいた妻にも「わかってやって!」と援護射撃を食らう始末でした。
このような状況に陥ったのは、三男が大学進学に対して、あれこれ正統的な志望理由を並べてはいたものの、受験勉強せずに簡単に入れる大学という考えは見え見え。その浅い考えを理屈で徹底的に叩いたので、反論できなくなり最後の反撃にでたのでしょう。私としては「わかっている」から言ったのですが…。
そんな三男や妻に対して最後に「お前の進もうとする道は大学のルートが大きく影響するし、人脈も必要となる。だから、よりレベルの高い大学を考えるべき。『わかれ!』とは言わないが頭に置いておけ」と返答し話を終わらせましたが、以前の私であれば「わかってないのはお前達じゃぁないか!」と逆ギレし、しばらく険悪なムードを家庭内に漂わせていました。

○○がわかってくれない!

「親がわかってくれない」
「夫が(妻が)わかってくれない」
「友達がわかってくれない」
「上司がわかってくれない」…こんな事を言う人は多いですね。また、「親は子どもの心をわかってやらなければならない」「夫婦はお互いわかり合うことが大切」などと言いますよね。そう言えば以前、地元平川小学校のPTA会長だった時、子育てについてお母さん方と議論になると「お父さんにはわからないでしょうけど!」とよく言われましたし、更には「男の人にはわからないでしょ!」こんな言葉を浴びせられたものです(笑)。
以前の私は、このようなことを言われると何とも表現しがたい苦しい思いをしていました。そして色々な感情が自分自身の心を巡り始めると様々な葛藤を起こし、それが続くと「分かろうとしている俺の心をわかれ!」と逆ギレする時も。そして最悪の場合、感情的対立に発展することがよくありました。特に家庭内では…。
今思えば、当時の私には「わらなければならない」という心があったからだと思うのです。
しかし「わかってほしい」「わからなければならない」などと言われても、そもそも心というものはわかるものなのでしょうか?

自分の心も分からない!

現在のNAPでは「心」をテーマに各プログラムを運営しています。そのため、様々な社内研修を行っていますが、その中の一つに歴史的精神分析学者であるユングの心理学があります。その第一任者であり日本の臨床心理学の歴史的権威である故・河合隼雄氏は、著書である「こころの処方箋(新潮社)」の冒頭で「他人の心がすぐにわかるのではないかとよく言われるが(中略)一般の予想とは反対に、私は人の心などわかるはずがないと思っているのである」と語られています。
また、文字数の関係で詳しい説明は割愛させていただきますが、ユング心理学で学んだことから、心とは記憶の総体であり、大きく「意識」「無意識」という領域に区分さる。「意識」とはわかっている自分《行動を説明できる心》、「無意識」とはわからない自分《行動を説明できない心》と心を解釈しています。そして、心において意識よりも無意識が圧倒的な領域を占めていて、しかも「深層心理」という考え方では、その無意識が更に遺伝的に繋がっているもの《個人的無意識・普遍的無意識》とどこまで広がって行くかわからないほどの「世界」であると言われています。
なので、心の圧倒的領域を占める無意識とは、深遠で「何かわからない《えたい》の知れないもの」なのです。こう考えていくと、自分でも自分の心においてわかっている部分(意識)はほんの少ししかなく、わからない部分(無意識)が圧倒的に多いのです。だから、自分の心さえもわからないのですから人の心などわかるはずがないのです。たとえ母子であっても。

自分勝手に「察する」だけ

考えてみると、どう考えてもわからないものをわかろうとするほど苦しいものはありません。その苦しさが積もり積もると人間、感情というものが突き上げてきて、その感情が何らかの「悪さ」を始めるのです。それが自分に向かうと自己否定となり精神的に病んでしまうことに繋がり、外部に向かうと人と対立し、しなくていい喧嘩をしてしまうことになるのです。ですから、「わかってほしい」「わからなければならない」と思ってみても、いいことにならない場合が多いのです。何より自分自身が苦しいだけなのです。
このように考えると、何もしないのが一番なのかということになりますが、それでは人間関係は成立しません。ですから「心は誰にもわからない」という考えをもとに、可能な限り相手の心を「察して」どうしたら伝わるかを考え、あの手この手で表現するしかないと考えています。そして、すべては「自分勝手」に捉えていることであり、わからないことや理解できないことは自然であると心得るべきだと思います。
そのようなスタンスをとっていると、少しでも相手にこちらの思いが伝わったとき、素直に喜べるのです。喜べたら良好な関係が続けられるのです。NAPの指導現場においてはその連続であると考え、子ども達、保護者の皆様、そして成人会員の皆様に接しています。何より私達の心が伝わるように、表現力のトレーニングが永続的に必要であると考えています。

どうしらた仲良くなれるか

「わかってくれんシ!」と言い放った三男ですが、その後、志望大学は変えなかったものの大学院への進学はもっと考えて進路を決めると妻に言ったそうです。わかったかどうかはわかりませんが!?まぁ、三男の人生ですから
一般的に「子どものことをわかってやらなければならない」「夫婦わかりあえなければならない」などと言いますが、そんな無理なことを考えるから「家庭不和」が起こるのだと思う今日この頃です。
最後は「どうしたら仲良くなれるか」ですね。お互い「わかり合うことはできない」ということが「わかった」とき、仲良くなれるような気がします。特に夫婦関係は・・・。
あれこれ言っても、やっぱり「仲良く」が一番ですね。

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