「聞く」と「聴く」の違い

子ども達とのやり取りで、こちらの話を聞いていないと思ったら意外と聞いていた、ということがよくあります。自分が説明している時にそっぽを向いているので、「今、先生が何て言ったか答えてみて」と聞くと、すらすらと答えられてしまったりします。

 

さて、これって聞いているから良い、ということになるのでしょうか。逆に、説明して「聞いてるよ」と言った直後に「次、何やるの?」と問い返されることも日常茶飯事です。

 

これが、単なる指示、「ビート板をもって」「バタ足して」などであれば、聞こえていれば十分、ということになります。しかしそれだと、それをした結果その先がどうなるか、などが子ども達に分からず、授業がつまらないのではないか、とも思うのです。NAPではラミネートされたカリキュラムカードを作成し、子ども達と授業内容だけでなく目標を共有するという取り組みをしています。

 

そして、その中でどこをどのようにがんばればどういう結果を得ることができるか、といった課題設定などを伝え、子ども達自身の頭で考えてくれることを期待しています。

 

そういったイメージができるようになるためには、単にコーチの指示を「聞く」のでは不十分で、聴くことが大事だと思います。

 

ここで、聴くはどのようなことかというのを知るのに、わかりやすい説明があります。それは、「聴」という漢字を分解すると、「耳」、「目」、「心」、「+」となる、つまり耳で音声を聞くのに加えて、目や心も総動員するのが聴く、ということです。

 

そして、この聴くという行為は、人間ならではの特性なのかな、とも思います。

 

本来、動物にとって聞くという行為は、天敵から身を守ったり、自然災害を事前に察知したりするために、命に関わる重要なことです。ご家庭に犬や猫などのペットがいたら観察されるとよく分かるのですが、ぐっすり就寝している間にリラックスして目をつむっていても、耳だけは立っている、ということが分かるでしょう。

 

野性味が失われている品種などでは耳が垂れていることもありますが、これは人間に守られている環境のためです。耳で常に物音を警戒しているウサギを例にとると、野生に見られるように耳が立っているウサギでは、就寝時耳を伏せていても、わずかな音がすると耳だけをぴくっと立たせます。それに対し、ロップイヤーと呼ばれる耳が垂れている品種は、音に対しやや鈍感で、自然界では生き残れないかもしれません。

 

人間にもその名残はあり、就寝時にわずかな物音で起きる経験や、静かな図書館などのような環境で物音がすると耳だけが反応するなどは、きっとどなたも経験があるでしょう。プールにおける子ども達も同様で、友達と遊びながらも一応先生の話を聞いておかないと後で怒られるから、もしくは無意識に聞いていてなんとなく耳に残っていた、程度の聞き方をしているかもしれません。

 

では、どうすれば「聞く」ではなく聴くという状態に子ども達を持っていくか、それにはコーチとしての伝え方の技術やカリキュラムカードのさらなる充実、適度な緊張感なども大事だとは思いますが、必ずしもうまくいくとは限りません。その原因はいくつか考えられますが、コーチからの一方通行のコミュニケーションにも原因があると思います。

 

子ども達全員が自分の意思で参加できる活動を実現するためには、子ども達自身が発言や意思を表明し、コーチが子ども達の話を聴き、という相互理解が欠かせないのでしょうね。

学童スタッフ   岸 健一

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