カリキュラム通りに…
ナップのジュニアスイミングは、毎時間カリキュラムを作成し、「ほぼ」その内容に沿った授業展開をしています。実は、この「ほぼ」の部分がとても重要で、ナップのコーチはそこに様々な工夫を凝らしています。
一見、カリキュラム通りに100%こなすことが理想型だと考えられがちですが、本当にそうでしょうか?最初から最後までカリキュラムの計画通りやることにはいくつかの弊害も考えられます。
例えば、ソビエト連邦(現ロシア)では、農業や工業などの生産・物流・金融などが全て計画経済によりに行われていました。労働者は平等に仕事が割り振られ、賃金も得ていました。失業者も発生せず、生活に必要な物資も不足しない理想的な社会のように思われていました。
ところが、計画経済は、様々な矛盾も抱えていました。その最たるものが、効率の悪さです。働いても働かなくても給与は同じなため、労働へのモチベーションが沸きにくく、手を抜いても失業しなかったので生産性が低下し続けました。ソ連やその他の社会主義国家崩壊の一因になったことは、歴史が示すとおりです。
このことは、日本にとっても対岸の火事ではありません。例えば、財政悪化の原因とされる、自治体が年度末に余った予算を使い切る「使い切り予算」は一向になくなりません。
カリキュラムは土台
もし子ども達が、カリキュラム通りに寸分違わず泳ぐだけだったらどうなるでしょう? 泳ぐ量や質において、物足りない子とついて行けない子が現れます。それでも、決められた通りにやろうとすると、そのどちらにも不満足な授業になってしまいかねません。コーチが決めた通りにしか動かないので、泳ぎの上達に対するモチベーションも沸きにくくなります。
ではどうすればよいか、その答えは、カリキュラムの柔軟な運用にあります。わかりやすく言えば、カリキュラムを子どもと一緒になって作り上げることです。そこで重要なのが、コーチがカリキュラムを土台にし、子どもからうまく意見を吸い上げることです。
カリキュラムは暴力?
カリキュラムに書かれていることは、ある程度の「強制力」を伴います。場合によってはその強制は子ども達には「暴力」に映ることもあります。ここで言う「暴力」とは望まないことを強制されることです。子ども達がカリキュラムに一定の納得を示さない限り、嫌なことを無理矢理させられることにつながるのです。
これは、子ども達が社会に出て何度も直面することです。言われたことを鵜呑みにし、疑問を感じながらもただ従っていれば、なんとなく会社が出世させてくれる、そんな時代は終焉を告げています。
これからの時代を生き抜くには、子ども達に自分の頭で何が正しいのかを判断し行動する能力が必要です。そのために、提示されたカリキュラムを自分の頭で消化し、自分で授業を作り上げる賢さが必要だと思います。子ども達は、驚くほど豊かな発想を持っている反面、未熟な面もあります。そこで、まずはカリキュラム通りに従ってもらわなければならない部分も多々あります。だからこそ、カリキュラムに「ほぼ」従ってもらう必要があるわけです。
でも、授業をより面白くしたり、子どもの能力や個性に合った内容にするために、カリキュラムを変えることは、むしろ望ましいことです。そうするために、コーチもなるべく子どもの意見を取り上げますし、場合によってはそのための話し合いに長時間を費やすこともあります。その話し合いによって得られた納得や共感が、後の泳ぎに対するモチベーションアップにつながることもよくあるからです。
ジュニア学童教室担当 岸 健一
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