高校生の時の、英語の授業の話です。先生が、自分の前の席にいたA君に対し「この問題の答え、わかりますか?」と質問しました。英語の文法に関する、やや難しい問題でした。自分は前日にその問題を予習していたので、もしA君が答えられなかったら次は自分が当てられる番かな?と答える準備をしていたところ、A君が思いもよらない行動をとりました。A君は、先生に指名されている最中にも関わらず、「ねぇ、この問題わかる?」と後ろの席の自分に答えを聞いてきたのです。
自分から正解を聞いたA君は、先生にその通りに答えました。クラスのみんなはクスクス笑い、先生は「一応、正解だけど・・・」とあきれている様子でした。この出来事を普通に考えると、「A君はずるをしたな」でしょうが、自分のその時の感想は「A君、すごい。自分にはまねできない」でした。
この出来事を、授業中でなく大人の社会に例えるとどうでしょう?ある問題に対し、素直に「わからないから教えて」と知っている他人に尋ねるA君は、仕事をどんどん前に進めることができるでしょう。その一方で、なんでも自分で考えて、他人に頼らないとすると、どうでしょう?答えが決まっている学校の授業とは違い、社会には予測不能な問題も多々あるので、全てを予習したり、正解を自分で導き出したりすることは不可能です。もし他人に頼ることができない大人になると、仕事に遅れが生じるばかりの、損な人生を歩む結果になるかもしれません。
かつては、日本の学力は世界でもトップレベルの水準にありました。ところが、その学力は低下傾向にあります。特に、読解力が大幅に低下していると言われています。そして、読解力は、「人の話を聴く力」という考え方もあります。今の日本の教育は暗記偏重から脱却できず、自分の頭で考える機会が世界と比較して少ないのではないでしょうか?論理的思考力や、科学的な発想においても、同様のことがいえるかもしれません。
子どもに指導する際も、ただ「正しい答え(泳法)」を教えるのではなく、時間がかかっても「どう思う?」と問いかけたり、子ども同士で相談してもらったり、反対意見を引き出したりできれば、子どもの脳の成長につながると思います。なかなかうまくいかないことが多いですが、うまくいったときは、ただの一方通行ではなく、より深く理解が進んでいるように感じます。ただでさえAIや量子コンピューターなど最新技術が発達し、気候変動や地政学的リスクが世界各地で起こっている世の中、正解などない未来を担える子ども達に育って欲しいです。そのためには、わからないことを素直に認め、他人に頼ることをいとわないことも大事なのかな、と思います。
岸 健一
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