★やっていいことと悪いこと

神戸市の某小学校において、小学校教員が同僚の教員に対して悪質な暴行、および暴言を行ったとのニュースが話題となりました。いじめ問題に取り組んでいるはずの学校で、このような行為が行われたことは、決して許されることではありません。特に、お子様を預けている保護者の方のご心配は相当なものでしょう。

 

ナップにおいても、いじめは原則として許さない、という方針で、スタッフの新人研修の段階から学んでいます。子ども同士のいじめはもちろんですが、大人同士、さらには大人と子どもの間のいじめも許されない、このことを神戸市の事例であらためて認識させられます。

 

神戸市の某小学校において、小学校教員が同僚の教員に対して悪質な暴行、および暴言を行ったとのニュースが話題となりました。いじめ問題に取り組んでいるはずの学校で、このような行為が行われたことは、決して許されることではありません。特に、お子様を預けている保護者の方のご心配は相当なものでしょう。

 

ナップにおいても、いじめは原則として許さない、という方針で、スタッフの新人研修の段階から学んでいます。子ども同士のいじめはもちろんですが、大人同士、さらには大人と子どもの間のいじめも許されない、このことを神戸市の事例であらためて認識させられます。

 

このような「体は大人でも精神的に子ども」な大人が増えている原因として、通過儀礼(イニシエーション)」の欠如をあげる説があります。通過儀礼とは、「子どもから大人になるための儀式など」のことです。古来よりこのような儀式はあり、日本でも古くは元服などがありました。今でも成人式などがありますが、祝辞などを述べられる程度で、それを機に大人になるというような通過儀礼としての意味合いは、形骸化しています。むしろ、成人式はお酒を飲んで暴れる場、と勘違いしている20歳も多く、そう考えると子どもレベルのいじめを大人が平然と行っているのも、納得がいく話かもしれません。

 

そして、被害者の教員に対するケアはもちろんですが、この事件での最大のポイントは、やはり子ども達に与えるインパクトの大きさです。児童期、特に低学年においては、大人のやることをまねする傾向にあります。先生が率先していじめをしているのであれば、「このくらいならやってもいいんだ」と、いじめに荷担することも懸念されます。このようなケースは反面教師としてとらえ、先生や大人だって間違いを犯すこと、安易にいじめに同調しないこと、自分の頭で善悪の判断基準を考える習慣を、ぜひ身につけてほしいものです。

岸 健一

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