高校生の娘が課題を前に、「どうして勉強するか、わからない。どうして、みんなが勉強しているのかもわからない。」
なるほど・・・小学生の時は宿題をして行かず、中学生の時は自主学習、高校の課題が膨大に思えるのでしょう。やろうとするけど涙がでてくる・・・納得しないとできないのですね。言われたからやるような子ではない。だから、どうしてみんなはやっているのだろうと思ったのでしょう。そこで、何か答えなければと私なりに頭を絞って答えました。
少し前に、黒柳徹子さんがテレビで飢えに直面した子ども達の状況をレポートした後、「生きるために教育が必要です。教育が一番必要です。」と言われていました。
食べ物ではなく教育。『知識と考える力』が『生きていく力』になるのだと理解しました。
娘に話してみました。
日本は先進国、競争社会、知能労働、だから高いレベルの勉強を要求されるだろうね。
学ぶ力が生きる力。
色んな角度から考えることができる力があれば、生きやすくなると思う。
本は、色んな知りたい知識が入った絶好のアイテムだと思っているよ。」
言われたからとやっているのではないことに、少し安心する気持ちもありました。自分の足で歩こうと悩み苦しんでいるのですから。それでも、分からなければ悩みます。考えて、自分の腑に落ちる答えを見つけられる力があれば、生きていける。
結局のところは、「ママもね。チラシを作るとき、パソコンができなくて、あなた達が寝た後泣きながらやっていたよ。その時のママみたいね。」と言うと、一番腑に落ちたらしく、勉強をとりあえず始めました。
2日後、リビングで勉強をしている娘は、「勉強していて嬉しい?ママのためじゃなくて、自分のために勉強しているんやし!」と言ってきました。
その後も、やったりやらなかったり・・・子どもの自立と親のお節介は、もう少し続きそうです。
主人にも尋ねてみました。「何のために勉強するのかと子どもが聞いてきたら、どう答える?」
答えは、「将来のため!」
なんじゃそれ~。
「将来のため!」はあまりにも抽象的。そのレベルでは娘も分かっているのです。将来のため、何故、どの様に・・・が具体的に描けないから悩んでいるのだと思うのです。将来の目標が分かりやすく描けて、必要なら勉強するでしょう。ですから私のできることは、いろいろな情報を集めては伝えることぐらいかもしれません。