前号(2024.10月号) |
子どもの成長もあっという間で、送迎付きの幼稚園🚌からランドセルを背負い自らの足で向かう小学校へと進化していった🎒。それに伴い子ども達の『群れ』も行動範囲が広がり、構成も兄弟・近所から同学年・他地区の子ども達と行動するようになった🏃♀️🏃♂️。
そんな流れのなか、次男が小学校2年生の時だっただろうか...頭から血を流した状態で帰宅した・・・と妻から仕事中の私に📞が入ったことがあった。どうやら下校中、同じクラスの子に石を投げつけられそれが頭に名中したらしい。
相手が知り合いの子だったこともあり、妻はいつにない剣幕で相手方に謝罪を求めるよう言ってきたが、私は仕事中だったこともあり状況を聞いて一旦📞を切った。
その後、家に帰るなり妻は相手の対応を聞いてきたが、実のところを言うと頭部出血と言っても軽度だったこともあり私は妻の要求を完全にスルーしていた。当然のことながらその問いに返答しないでいると妻は更に😡😡😡!その矛先は私に向かってきた😰。
そんな妻に、思わず「大した怪我じゃぁない!ガタガタ騒ぐな😤!」と言い放ってしまいその後数日間、口をきいてもらえなかった事は言うまでもない😖。それにしても妻はなぜこんなに感情的になるのだろう??
それは・・・パパとは全く違った子どもへの感情があるからではないだろうか?
子どもはママの胎内で命が宿り、一般的には十月十日ママの身体の一部であった🫄。つまり、子ども=自分なのだ。自分が傷つけられれば感情的になるのも無理はない。
だが、パパにはそんな『絶対的』な身体的関係はない。だから子どもを客観視し第三者的目線で捉える傾向がある。それに加え、このようなぶつかり合いは『雄』の本能として大なり小なり経験している(私もその当時はやった・やられたの連続であった)。なので子ども同士のぶつかり合いに寛容であることが多い🙎♂️。
本来、この年齢の『群れ遊び』では、ぶつかり合いを通じてコミュニケーション能力において重要な『問題解決能力』を培うと言われている。それは子ども達だけの社会において必然的に行われている。
しかし、昨今子ども同士のトラブルに大人、特にパパが介入するケースを見聞きするようになった。状況を聞いてみると相手に対して大人社会の理屈で徹底的に責任追及したり、まるで何かの親分さんのように『謝罪』という『落し前』を要求する等々、パパの役割を果たそうとしているのは分かるがタチが悪いと言わざるを得ない場合が多い。これで子どもの『問題解決能力』は育つのだろうか😟?