次号(2024.5月号) 前号(2024.3月号)


《…続きはこちら》

ママ抱っこ!が一生のベース??

 第一子である長男が生まれた当初、毎朝妻から「夜、何回泣いたか知っちょる😡」と捨て台詞を浴びることが一日のコミュニケーションの始まりだったことを思い出す。家庭内の平和維持のため一先ず「スマン🙇‍♂️」と謝罪する毎日だった。私としては何の悪気もないのだが一度完全な睡眠に入ると泣き声の認識があっても夢か現実かが分からず目が覚めない。そんな私に妻は相当ムカつくらしい。最近のパパ・ママはどうなのだろう?
しかし、敢えて主張させてもらうなら「起きて子どもを世話しよう!」との想いはあったもののどうしても身体が動かない。こう言うと「言い訳だ!」とか「やる気なんか無いくせに!」などと散々非難されてきたが、正直な気持ちである。だが、妻は即座に起きて世話をし、子どもも泣き止みまた寝る…というルーティーンを一夜に何度も繰り返している。
また、泣いている我が子を私が抱くと、泣き止むどころか火に油を注ぐように激しくなるだけであったが、妻が抱くとあっという間に泣き止んだことを記憶している。特に乳首を口に含ませると。
まぁ、乳児期はこんな思い出ばかりであるが、この図式=「ママの抱っこ」が後々大きく影響してくることを実感することとなった。
それは・・・
次男が10歳(小学校4年)の時「母さんと一緒に寝たい」と訴えてきたことである。
 子ども達を自立させようと次男が4年生に進級するタイミングで‟川の字“だった就寝スタイルを子ども達だけに変更した。しばらく何事もなかったが、次男の訴えは10歳の誕生日を過ぎた秋のことだった。
以前の私であれば「4年生にもなって…甘えるな!!」と厳しく𠮟ったと思うが、妻がそんな次男を受け入れたいと言ったことや、私も当時「心の成長」の理論を学んでいる最中だったこともあり妻の想いを優先することにした。お陰で、私は一人寂しく別室で寝ることとなったが…(笑)
当時を思い起こすと、次男が1歳の時妻は三男を身籠り、お腹の子を護りながら幼い長男・次男の育児をするという大変な毎日。当然、次男との身体的ふれあいや心としての「抱っこ」も十分でなかったことが考えられる。また、そんな妻を助けようと体育会出身の私が長男・次男に行った子育てもタチが悪かった。
 なので、次男は2歳頃までに形成されると言われている「愛着」が不十分だったのかもしれない。次男の訴えはこの「愛着」を取り戻そうとする行動だったのではないだろうか。
 その後、次男は約5年をかけて乳児期からの心の成長をすべてやり直すこととなったが、その過程において様々な現象が起こった。それについてはまたの機会にお伝えするとして、結婚という人生の節目を迎えた現在の次男を見ていると、心としての「ママ抱っこ」=「愛着形成」が人生の基盤であると実感する今日この頃である。     《次号につづく…》