中村社長のコラム ー「保護者」から「親」へ … 子育ての評価とは?PART4 不登校のポイントは親にあり?? -

我が子のために良かれと…

前号では、この想いが、逆に不登校の要因となってしまったのではないかとの考えを申し上げましたが、今回は子どもの不登校に対して当時私自身がどう考え、どんなスタンスでいたかをお伝えしたいと思います。

 

目次

NAPの方針転換を迫られた年

今振り返ると、次男が不登校となった頃(2004年)、NAPが大きな転換期を迎えていました。

それは、社会情勢・事業環境の変化からくる急激な業績悪化により経営不振に陥ったことです。これは、それまでの経営手法が通用しなくなったことを意味しており、「右肩上がり=インフレ」から「右肩下がり=デフレ」時代の考え方・運営手法への180度の転換、いわゆる抜本的な「構造改革」=「restructuring(リストラクチャリング)」つまりリストラを決行しなければならない事態となったのです。そのリストラの第一の対象は私(経営者)自身でした。

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子育て支援・自立支援への転換

その改革とは、それまでの泳ぎを習うだけの「泳法塾」から「子育て支援・自立支援」というコンセプトへの転換でした。そのために必要としたのは、「子育てヒントのお話し会」でおなじみの元スイミングクラブの経営者であり、現在子育てアドバイザーとして活躍されている樋口邦彦氏の「心」を基準にした考え方でした。樋口氏からは経済情勢を基盤に時代背景と変化、それに関係する心の変化と心理的発達段階論等を学んでいきました。この方針転換と学びが、結果的に我子への子育てを含め私自身の考え方の大きなターニングポイントとなりました。

当時は、いじめ、不登校(引きこもり)、そして「神戸連続殺傷事件」を代表とする凶悪な少年犯罪が日々叫ばれるようになった時期でした。その頃よく耳にした言葉は「あんな良い子がなぜ?」。樋口氏とはこれらを題材に時代の変化・そして心の変化を考えていきました。また、様々な書籍を紹介され、それらを読み進めていく中で、これらの社会現象の裏に何があるのか自分なりに見えてきました。そのポイントに対して納得が深まるにつれ、自分の考え方の問題より、良かれと思いしてきたことが我子の心を抑圧していたことに気付かされると同時に、その影響が心の成長の節目に何らかの行動となって表れるのではないかと考えるようになりました。

 

心の節目に想定通りの行動が…

そんな矢先に次男が「お母さん一緒に寝て欲しい」と言ってきたのです。当時次男は10歳(4年生)。発達段階論で言う4段階目の大きな心の節目の年齢でした。そして、数か月後不登校に。「来るべき時が来た!」…こう思ったことを覚えていますが、それまで次男に対して行ってきたことを考えると、そんな次男を受け入れ今一度心の成長を見守ろう…いや、当時の私としては見守るしかない状況でした。

その時、長男はというと12歳、小学校を卒業し中学校へ。すでに児童期の4段階の節目を終えていました。長男が10歳の時は何の問題もなかった…と言うより、当時の私は長男の変化に気付かず、長男も行動に出すことができなかったのでしょう。

このようなことから、10歳の次の節目=14歳(中学2年生)で何か現れるのではと考えていたところ、全くその通り、中学2年生の秋から不登校に。「やっぱり!」そんな感覚でしたが、次男の経験もあり、この時は長男が納得いくまで引きこもりを擁護するスタンスでいました。

つまり、私にとって我子の不登校は「想定の範囲内」だったのです。

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このように想定できたのも樋口氏から時代の変化、経済・社会情勢を背景に心理的発達段階論を学んだからでした。不登校(引きこもり)も含め、子どもを取り巻く様々な問題について樋口氏と共に考え、何が問題なのか、考えるポイントはどこなのかが私なりに見えてきたことが大きな転換となったのです。それは、我子を取り巻く問題は、すべて親である私自身の問題であるとの視点に立つことです。

また、それまでは、「教育」という考え方も、『能力とは外力により心身に注入するもの』との認識でしたが、今では、『人には様々な能力がすでに備わっており、外界の環境や外力によって自身が掴み取り、行動として表現できるよう支援するもの』という考え方に。これを教えてくれたのが発達段階論でした。以上のことが冒頭に申し上げた「私自身のリストラ」でした。

 

周囲の声に惑わされない

これにより大きく変化したのは、周囲に対して揺らがない自分自身の心ができていたことです。

長男の不登校時、中学校から呼び出しを食らったのですが(笑)登校を促すよう要請される先生方の前で「自分から登校するまで待ちます!」と断言したことを思い出します。正しいかどうかはわかりませんでしたが、その時の私は覚悟というか揺らがないものがありました。

そして、不登校が始まってからと言うもの、多くの皆様にご心配をいただきましたが、一方で「それで良いと思ってるの!」「それでも親か!」等、登校させようとしない私の姿勢に対し、非難の言葉をいただくことも多々ありました。しかも、当時の私は平川小学校のPTA会長。子育て論を色々なところで語っていました。そんな人間の子どもが不登校とは…と、あざ笑う人もいたと聞いています。

しかし、そんな周囲の言葉に揺らぐことなく、また、キレることなく我子を肯定的に受け入れ続けられたのもすべて「自分自身の問題」との認識を持っていたからです。

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子どもには子どもの人生がある!

それからというものは、不登校を始め我子の行動に対して、何をしていても問題視しなくなりました。それこそ、学校へ行こうが行くまいが、勉強しようがゲームをしようが、携帯電話やインターネットで何をしていようが気にならず、叱る等という現象は我が家から消え去りました。そうなると子どもは隠れてコソコソするようなこともなく、行動や考えがわかりやすくなり、家庭内の人間関係が大変良好になったことだけは確かです。

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但し、「叱ってはいけない」と自分を抑えていたのではありません。逆に父親…いや、一人の人間として子ども達に言うべきと思ったことはストレートに言ってきました。ただ、最後の決定権を子どもに委ね、何が起ころうとも自分が矢面に立つという覚悟のようなものがあっただけです。

まぁ、私なりに言うなら

「何をしていようが俺の子だ!!」

という感じです。!?親がどんなに躍起になっても、子どもは自分の人生を生きていくのだと今では思っています。

ということで、本来なら今回が最終回の予定でしたが、スミマセン…まだまだ続きます。次回は登校するようになる頃からその後をお伝えしたいと思います。よろしくお願いします!

※文章中の心理的発達段階論とは、

「EHエリクソン・ライフサイクル論」という理論です。詳しくはお尋ねいただくか毎月行っている樋口氏による「子育てヒントのお話し会」にぜひご参加ください!

 

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