中村社長のコラム 「保護者」から「親」へ … 子育ての評価とは?  PART14 ~ 「群れ遊び」は人間関係づくりの基盤

「コロナ禍」の影響で…NAPでも山口県からの休業要請により4月18日から5月6日までの約3週間閉館し、会員の皆様には大変ご迷惑をおかけしました。実のところ、その後も社会情勢を考え5月末まで休業すべきかと、ぎりぎりまで考えていました。

最終的には幹部スタッフが全員「やります!」と力強く答えてくれたことで営業開始に踏み切りましたが、その後成人会員の皆様から「待ってたよ!」とのお声をいただいたり、子ども達のレッスン中の笑顔を見ていて、スタッフそして会員の皆様から勇気をいただいて今があること、何よりNAPの使命を再認識することができました。心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

 

目次

子育てのテーマ・・・「自立」

さて、不登校児だった次男が社会人となったことを節目に我子達の成長を振り返ったコラム『保護者 から 親へ…子育ての評価とは?』。前号からはその総括として、我子達が巣立った現在の視点での子育てを考えています。

そのテーマは子どもの「自立」。

「自立」とは

①自己責任を基本とする行動

②良好な人間関係を築く能力

この2点が基本的な行動スタイルとして身についていることだと私は考えています。

勿論、一言に「自立」言っても様々な考え方があり、また、どのように生きるか(どのように生きて欲しいか)によって違ってきます。ですのでこれは「楽しく(幸せに)生きる」を前提として、様々な社会現象・出来事から私なりに考えた概念です。前号では「自己責任を基本とする行動」について、「自由」という考え方・行動が成立する現代ならではの社会現象を前提に考えました。今号では「良好な人間関係を築く能力」について考えてみたいと思います。

 

自立のポイント=良好な人間関係

「良好な人間関係」という視点で我が家の男子三兄弟の人間関係を振り返ってみると、不登校は経験したものの原因は学校での人間関係ではなく、他にも友達を始め周囲の人々との人間関係のトラブルや悩みを抱えていたことは全くと言っていいほど無いのです。勿論、多少のぶつかり合いやケンカはあったようですが人間関係が難しくなる思春期以降も含め、親が出て行かなければならない問題は皆無でした。

 

「やられた!」と思わなければ良好な人間関係は築ける?

敢えて挙げるなら、中学生で不登校となった長男が、少しづつ登校を始めた中学3年の1学期、下駄箱に入れていた靴に連続して泥を入れられると言う出来事がありました。

これを学校では「いじめ」と捉えられたのか、対象の生徒を割り出し指導されたとのご報告をいただきましたが、本人に聞いてみたところ「泥を出せば履けるから!」とあっけらかんとしていて、犯人(?)が判明しても「アイツらの悪戯よ!」と笑っていて「いじめられた」とは全く思っていない様子だったことを記憶しています。その後、毎日登校するようになり、対象の生徒とも友達付き合いを続けていたようですが、特に問題は起こりませんでした。

今考えれば、この時の長男は心理的に学童期前期に退行していたので、恐らく事態が理解できなかったのではないかと思います。「やられた!」等と言う被害者感情がなければ付き合うことはできますよね。

人間関係のトラブルは本能?

昨今の社会現象として、様々な人間関係のトラブル、いじめやハラスメントの問題、そしてSNSを使った匿名の「誹謗中傷」。それらを受け精神的に病んで自ら命を絶つという痛ましい出来事が珍しい話ではない…現代はそんな「恐ろしい」時代と言っても過言ではありませんね。

 

このようなことが起こる度に、そんなことをして何の利益があるのか…と思うのですが、このような行動は、人間の動物としての本能からくる『攻撃行動』と呼ばれるもので、一般的には行動もしくは言葉による行為・威嚇などにより意図的に相手に危害を与え、相手の行動を自分が意図する方向に変容させようとする行動だと言われています。なので、攻撃行動は動物の生存にとって必須の基本的な本能行動の一つであり、社会的秩序の構築に重要な役割を果たすという見方もあるようです。

この考え方からすると私も含め人間誰しも行いうる行動であり、いじめやハラスメントを含む人間間系のトラブルは必然だとも考えられます。

とは言え、もともと人間は集団を形成し共生する本能も持っています。相手を攻撃する心を持ちながらも受け入れ共生する…言葉で表現するなら「相互依存」。いわゆる「お互いさま」の心ですね。この相互依存の心こそが「良好な人間関係を築く能力」の基盤だと私は考えています。

ぶつかり合いの中で学んでいく

その「相互依存」の心の基盤を築く時期が4歳から10歳くらいまでの年齢だと言われています。NAPではこの時期の行動を「群れ遊び」と呼び「管理者もしくは指導者のいないところで子ども達が勝手なルールを作って遊ぶ遊び」と定義しています。そして、幼児期後期では何かの真似をしながら空想力を働かせ、学童期前期では憧れの対象をイメージし、子ども達だけで子ども達だけの社会をつくり、生き生き・伸び伸びと様々な行動・活動をしています。

この行動・活動では他者に対して主導的・支配的に関わる…つまり、やんちゃ・おてんばで行動していますので、当然ぶつかり合いが起こりケンカやいじめに発展することも日常茶飯事。しかし、この段階ではまだ社会的評価が理解できない本能的な行動であるため、後を引きずることも少なく、また一緒に遊び始める場合が殆どです。このような行動は他者とのコミュニケーション能力の基礎を築くための行動ではないかと私は考えています。そして「やる痛み」「やられる痛み」を経験し、それをベースに子ども達なりの「良い・悪い」が次の心の段階で形成されていくのではないでしょうか?

 

見守る姿勢が将来に繋がる!

しかし、現状ではこの時期に徹底的に保護者・管理者(指導者)が介入し、教育の視点から善悪の物差しで子ども達を裁くと同時に、いじめやけんかを徹底的に抑え排除しています。これによりトラブルは解決できたように見えますが、十分な体験ができずに「悪い・いけない」という知識だけを強制的に植え込まれていますから、社会が理解できるようになる学童期後期以降、人間関係が上手く築けず悩んだり、逆に他者を受け入れることができずに攻撃行動が優位になりトラブルを起こしてしまうように思えてなりません。

従って、この時期の行動が「良好な関係を築く能力」のベースとして大変重要であり、この時期を大切にし局限まで手を出さない…

「子どものことだから・・・」と見守ることが将来の人間関係づくりに重要だと私は思っています。

 

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