がんばれ!という言葉~きし先生のつぶやき~

ganbare言葉かけの大切さ、それが自分がナップで学んだ大切なことかと思います。

例えば「がんばれ」という言葉。

ある記事からの引用です。

〝日本人は「がんばる」という言葉が大好きだ。 だから、相手の気持ちを想像する前に、口癖のように「がんばれ」と言ってきた。 また、自分も言われてきた。 だから、悪い言葉じゃないと思ってきた。 でも、心の中で葛藤(かっとう)している人にとっては、その「がんばれ」がムチにもなる。〟

ナップでは、出来る限り子ども達に不要なプレッシャーはかけないようにしています。でも、なんの葛藤もないことはありえません。

また、低学年には低学年の、高学年には高学年の葛藤というものも、成長段階にあわせて存在します。

そして、子ども達が何に葛藤し、何に思い悩んでいるか、それは実は千差万別なのです。

「がんばれ」から「がんばってるね」

自分がナップで働き始めた頃は、まだ今ほど「個性重視」の考えが指導者の側に徹底しておらず、表現は悪いですが「流し作業的に」授業を進行することもありました。そういった進行のしかたに若干の矛盾も感じながら…。

自分の態度が少し変わってきたと感じたのは、例えば子ども達に対する言葉がけが「がんばれ」から「がんばってるね」に変わったとき。「がんばれ」とは、子ども達の基準でなく、自分の基準であり、自分が望む基準に達するまで「がんばれ」と言っているにすぎないです。でも、「がんばってるね」は、子ども自身の評価です。効果的に使い分ければ、こちらが声をからして叫ばなくても、ずっと子ども達の心にしみこむのかなと思います。

自分は?

それは翻(ひるがえ)って言うと、自分に対しても当てはまるかもしれません。ナップではご存じの通り(?)他の習い事に比べ、コーチと子ども達との垣根は低いです。その分、会話は双方向的に働きます。そのため、子どもの意見にコーチが影響されやすいです。そして、それでいいのだと思います。自分自身の「パラダイム(※)」が子どもの一言によって崩れる。そして学ぶ。つまり、コーチの側もがんばりすぎなくても良いのです。コーチの方がもし、一方的に上の視点だったら、常に正しくなくてはならず、ということは常に正しくあろうとがんばり続けなければなりません。

コーチにはコーチなりの葛藤が有り、子どもと同じく不完全な存在です。そして、不完全な自分という存在を埋めてくれる場がナップのプールという場所なのかなと最近感じています。

元気ッズ・ジュニア学童担当

岸 健一

※パラダイム・・・「模範」「範例」の意味

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