良いも・悪いも『真似び』の成長…子育て中間報告~中村社長のコラム~

shachou俺、臨床心理士になりたい!

1年以上前の事ですが、この春高校を卒業した三男に、進路について尋ねたところこのような答えが返ってきました。「心理」「福祉(介護)」などと名のつく職業は現代特有なものであり、早い話が「今、流行(はやり)」の職業なので、そのノリで言ったのかと思い理由を聞いてみると…

「友達と話しているとよく悩み相談になる。その悩みをしっかりと聞いてやると友達がどんどん変わっていくのに興味が湧いた。だから、カウンセリングの仕事をしてみたい」と言うのです。臨床心理やカウンセリングの世界をどこまで知っているかは別として、職業選択の理由としては理解できるものでした。(多少親バカは入っていますが)そう言えば以前、「中村君はよく話を聞いてくれるとうちの子は言っていますよ」と友達のお母さんに言われたことがありました。しかし、これまでの三男を思うと、人の悩みを聞き「心」に興味を示すようになるとは思えないのです。

幼児期から「やんちゃ」を連発!

三男と言えば、長男・次男と違い手を焼いた子で、幼児期から自分もケガをすれば、人にもケガをさせるというようにトラブルが絶えず、これまでどれだけ謝って歩いたことか(汗)

特に小学校の時は、低学年のころから、高圧的な先生には徹底的に反抗し、宿題は一切やっていかない、授業は邪魔をする・・・等々、とにかく問題児だったようです。友達とも喧嘩やぶつかり合いが多かったようで、例をあげるなら、2年生の時でしたが、下校中、雨上がりの水たまりで転んだことを一緒にいた女の子にバカにされ、頭にきて持っていた傘でその子の顔面を殴打したこともありました。翌日担任の先生から連絡があり、即座に謝罪に出向いたことは今でも記憶しています。すべて挙げればこの通信の全ページが埋まってしまうくらい数々の武勇伝があるのです。こんな三男がなぜ人の話を聞く姿勢をもち、臨床心理の世界に興味をもつようになったのか…?

やんちゃ坊主がなぜ・・・?

このような話の場合、よくあることは、目標(憧れ)となる人物との出会いなのですが、こと三男の場合、そのような出会いは思い当たりませんし、勿論カウンセリングなど受けたこともないので、正直なところ「よくわからない」としか言いようがないのですが、唯一考えられることは、親の接し方ではないかと思います。

「家庭教育」という大義名分のもと厳しく躾けた長男・次男と違い、三男は「悪さ」を連発していたにも拘らず、厳しく叱ることはせずに、何か仕出かす度に「なんでやったンか?」といつもその理由を聞いていました。そして、叱る代わりに問題のポイント、次善の策や対処の方法を私自身の経験から語っていました。これは崇高な子育て論に基づいた訳ではなく、ただ単に子どもの数が増えると叱るエネルギーが続かなくなっただけのことなのですが、そのような日常的な接し方が三男の「聞く」という行動スタイルに繋がっていったのではないかと思います。それと同時に様々な人々との「ぶつかり合い」を通じて相手の心の動きを感じ取っていたのでしょう。全くの憶測ではありますが、そのことが「心」に興味をもつ要因ではないかと考えます。

「学び」の語源は「真似び」

子育てヒントのお話会でおなじみの樋口邦彦氏は、著書である「やさしいお母さんになれる子育てのヒント(雲母書房)」の中で、「2歳ごろから両足ジャンプができるようになると、親や周囲の人々を意識して『真似る』ようになる。…(中略)そこからは子どもが育って欲しいように親が振る舞うことが大切」と表現されています。またお話会の中でも「学びの語源は『真似び』。だから、親が仲よくしていたら『仲よくする』ことを学びます。躾けたら『人を躾けること』を学びます。常に真似られているということを恐れてください」と語られます。このことを我が子が幼少の頃はよく理解できませんでしたが、成長した今、良いこともそうでないことも親を真似て学んでいることを実感として感じるようになりました。

自分自身も「真似び」の人生

実は私達も色々な所で色々な人の行動を真似て「学び」そして自分のスタイルを作り上げてきたように思います。その一番身近な存在が「親(保護者)」です。私も親の真似をしたつもりはないのですが、親のような人生を歩んでいます。また、スポーツを続けてきた中で様々な指導者に出会い、そこからもまた真似て学んで今の指導スタイルがあると思います。ですから、今は我子に真似られ、NAPの子ども達からも真似られという日々を送っているのです。だからこそ泳げることの楽しさやできることの喜びを私たち自身が感じていなければならないと思っています。そして何より、すべては自分自身の問題として捉え、真似られてもいいように、日々一生懸命取り組み続けなければならないと肝に銘じる次第です。

子育ての中間検証としては?

「臨床心理士になる!」と言い放った三男ですが、どうやらその場しのぎではなかったようで、その後学校にも頼らず、臨床心理学科のある大学をインターネット等で探して、大阪のとある大学を受験し、あっという間に進路を決めました。

・・・と決めたのは良いのですが「何年浪人してもいいからレベルの高い大学にすべき」という私のアドバイスは一切聞かず、決めた大学も学生募集に困っているような聞いたこともない大学で、受験はAO入試(学力試験よりも面接等が重要視される推薦試験)。つまり、安易にしか考えていないのです。

考えてみれば、私も大学は水泳での推薦入学。はっきり言って一般的な受験勉強というものは一切していません。それに加え子ども達の前では、ご飯を食べているか寝ているかのどちらか。こんな人間が「代表取締役」なんて肩書きをもっているのですから…安易に考えても不思議ではありませんね。

つまるところ、親として子どもに○○させよう!などと熱くなったところで、良いも悪いも結局のところ親を見て真似ているだけですね。子どもが成長し、親の保護下ながらも巣立って行く段階にきてつくづくそう思います。子育てとは親そのものであるように思えてなりません。だからこそ、あえて今、子育てを語るなら、これからの自分の人生を必死で生きていくことしかないのではないかと思う今日この頃です。

ということで、親という立場になって23年、節目の春となりました。長男・次男・三男が親の手の届かないところで三人三様の人生を歩み始めたことをお伝えして、私の「子育ての中間報告」とさせていただきます。

これから、妻と二人の生活です。新婚時代に戻って?…と言っても、戻れる訳ないッスよね。

どうしよう!?

 

 

 

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